楽し嬉しは長続きしない。 136話
それはごもっともな意見で今さら掘り下げる必要はないかな?
ただ、現代はそればかり求めてるよね。お疲れさんです。というか、つかれるだろうな。。
そうやな、自律した考えで動き出したのは小学校6年生の頃でした。或る日喧嘩が始まって、ぼく様とガキ大将が教室で喧嘩になりました。ガタイのいいガキ大将。ちっぽけな孤高のぼく様。どなんしたろかなぁと考えてました。それで、そいつが向かって来るなりぼく様は皮のズボンベルト引き抜いて床に一撃ふり叩きました。バチンという物凄い音。教室は静まり返りました。相手も戦意を失い大人しくなりました。。
それからというもの、私は友達と遊ぶことに違和感を感じ出しました。やがて勉強に夢中になります。楽しくて勉強ばかりすると教科書では物足りなくなり、図書館や本屋に通いました。専門書が好きで、特に水生昆虫やシダ植物に興味があり、近くの川をフィールドにして生態観察を繰り返しました。 或る日アクアリウムを父から買ってもらい、川の生態系の再現を始めました。川からそのまま移植された魚や貝類、水草などを再現して観察していました。
ま、これ書くと長くなるんで割愛しますが、私はそういう研究が楽しくなりました。友人たちと遊ぶのもいいけど、遊んでるだけでは物足りない。その物足りなさを勉強や書物そして実験が私の思いを叶えてくれました。 なんて楽しいんだろう。中学生まで毎日9時間勉強した生活を繰り返します。
これがぼく様のパーソナリティーの始まりでしょうか。
今の時代に漂う楽しい嬉しいとは全く違います。点の楽しさの分散もいいけど、点が線になって面になり球体になるような世界観が私はすきですね。
まあどうでもええか。昨日還暦同窓会にいってそう思った。もう60を過ぎれば何でもありで他人の考えなんか興味ないわ!てな感じでした。それもええかw