けんきゅうのお話

いま、YOSHIRO SHINKAWA LOST JIPANG ってタイトルで写真集にまとめようと撮影してるんだけど、

消えていく棚田や生態系を無視した河川工事、地下水に関わる半導体工場建設ラッシュ、先日撮った、環境破壊でしかなくなった野焼き、人為的に変化した風景や後は独自の視点で街や景色の写真。。などある。

消えていく棚田は相当な数を撮っている。。しかし最近思うんだ。これもまたキリのない世界だと。 現在棚田の10%以上は消失し、藪になっている。しかし実際はもっと多いだろうと予測出来る。益城圏でこれならもっと不便な山奥などはどうなってるのか見る必要はある。それに平地の甲佐町でさえ耕作放棄地が多数ある場所も珍しい。
だが、ファインダーを見ても、最近はシャッターおさない事が多くなった。 
これ、、どうしたらいい?
撮っただけでなんになる?
そう考えてしまうようになったんだ。 

普通写真家はそれを義務や仕事として撮って蓄積していくわけだが、私はそのような写真家ではない。
撮って嘆いて訴えて、、という方法論で時代は変化したか?
 
私は耕作放棄地の圃場を開墾し生産まで行い、無農薬でリアルに環境を再生して来たんだ。
写真家には到達できない世界を現実に構築している。
だから、このテーマについてもっと深く掘り下げる必要はある。
ただ、私にはこの解決方法は思いついている。
棚田は本来何のためのものかという問いを考えれば分かるだろう。
でも、それこそ時間がかかる作業だ。。
 

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