憤り

怒りをまだ内包している状態とでも言おうか、

私は見え過ぎるので憤りを常に抱えている。
これがどうしても我慢ならない時に爆発する怒りは誰も止められない様になる。
おそらく立法国家の日本であったからこそ今も生きていられるのだろう。
 
思えば幼少期に父母に対してその感情が初めて湧いた時から現在まで、自身の中で苛なむ日々だった。
結論が出るまでは決して怒る事はないし、結論が出ればそれに囚われる事もないが、その過程で相手がアクションを起こした時には容赦出来なくなる。
しかし、もう半世紀以上も生きて来たので然程でもない様にはなった。

だが、
今再び憤りを感じている。
 
中略
 
どうするかの前に言える事は、私は植物や自然には何もその様な感情は生まれない。
しかし人と接すると生まれるという条件に気づいた。
それ以降なるべく人と会う事を避けている。
もちろんモバイルフォンもタブレットも使わない。
ノートパソコンも今では家に置きっぱなしだ。
そうするとだいぶ楽になった。

しかし、憤りそのものを解決しなければ何の意味もない。
過去の偉人や宗教家の様に、煩悩を捨てる事も有りだろう。

平凡な私個人では解決出来そうもないが、憤りを無くすと言うよりそれに囚われない自分で有りたい。
現在はそう願っている。

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