すもも

 
家のすももがよく実る。
今時申し訳ないが田舎は豊かだ。
しかしそれは常に生産しているからだ。 
調べる時間より生産的に動く。
動いて初めて次の豊かさを手にできる。 
人間は食えればいいとか、うまけりゃいいというものではない。
情緒や文化こそ人間が生み出した、
そうね、
風情をたしなむ潤いのある幸せだろう。
動くから始まり生産し豊かになり、文化が生まれ楽しみ、幸せを得る事ができる。
 
考えてみれば、
人間の食料は縄文後期から弥生時代以降、なったものを食べるから、ならせたものを食べるへと変化する。 
それは人が手をかけたものであり、人との関連性が全くない自然とは違う事にもう一度気付くべきだ。
また逆に自然志向の考えに、人が手をかけたものよりも本来の全くの自然のものがいいという理知的でない風潮さえあるのも問題と言える。 
とかく現代の自然という定義はあやふやすぎるというか、0か1かで判断して本質をわかっていない。
もしくは加減をおざなりにしている。
 
 
このすももは父が思いを込めて植えたものだ。
きっと父は木を植えた時に家族が喜んで 食べる姿を願っていただろう。
 
さて、私の思いは、
無施肥や自然農法などどうでもいいと思っている。  
私は農法などの為に動いているのではない。
むしろそういう言葉の観念で縛られる人が多いという弊害の方が目につく。
大切な事はそういう事ではないのだ。

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