投稿

もこもこ藍青

高台から見る私の田んぼはそのように見える。 生理障害間際の中干しの田んぼは黄緑になるので余計に藍青と見える。 冬期湛水田はさらに青い。 大丈夫かな。 手を加えず私はじっと見守る。 職業病だね。 いいも悪いもさわらずに見続ける 。

野稲の出穂日

ひたちはたもちの品種が出穂していた。 5月18日に播種したものだ。 早いな。

人の目

私は見切る。 一瞬で。 その人が何かを口走る前に目を見て全てが解っている。 その訓練を30年以上もしてきた。 余りに正確だから、人は怒るが。 それさえ見切る。 俺に言うのが若すぎる。 自分のことを考えたらいい。

ヤンキー

昔憧れたことがある。 女は気前がいいし可愛い。 男はどうか。 今では嫌いではない。というか好きだな。 俺みたいに世の中にガタガタ言うんじゃなく。 俺は俺として動物的に生きている。 それでいい。それがいいと思うこの頃。 ps. 脱線しているようでそうでもない。 稲はあなたの思う通り。 そうでもないよ。

有名人

なりたくもないね。あんな人種。 多くの有名人を撮影したがろくなことはなかった。 最悪は佐野元春。 インタビュー中カメラを向けると、今は撮らないで。? 撮影始めると、今日は左から撮って。? 話しかけると、撮影中は話しかけないで。? 何様? まあいいや、どうでも、あんな奴らになりたくない。 賀来千香子さんとアンジュは良かったけどね。

分蘖数が違う。

深水、中干しなしだと分蘖数が45以上で通常の25とは株数が違う。 無効分蘖など気にしない。 植物が欲した数だから何かの意味があるのだろう。

偏狭的人格

まるでロックの歌詞かタイトルみたいだ。 今日は夕立。 人間が人間たれ。 乾いた現代は最高につまらない時代だ。 人間を支配ですか。

葉いもち

暑い夏がつづく。 息子の通う熊本工業高校は6対4で東海大星翔に今日決勝で負けた。 息子と甲子園に行こうと思っていたが。 最近の田んぼの状況は一部のエリアで葉いもちが例年になく多いこと。 酢が効くというから試して見たが葉っぱが液体を弾いて意味がなさそうだ。 根本的には水温だろうが、やはり密植してる所が多い。 胞子が散乱しないよう患部の葉っぱをちぎるしか当面対処できそうにない。

愛人

あまりの暑さに耐えかねて、白糸の滝という近くの滝へ涼みに出かけました。 愛人がいた。 でかい50代後半の男とシースルーかと思うほど、すけすけの上から下まで中が見えてしまう30位のねーちゃんが親密感あらわに立っていました。 清涼な滝の風に女の匂いがきつい香水。 一目で誰でもわかるわ、えーな。おっさん。 余計に頭が痛くなりましたが。 内蔵されたカメラの目で大判サイズで記録しました。 俺もさんざん遊んだけどまだ遊び足らんのかいなと思いました、、 。 夏だな。

かけ流し

冷たい水を田にかけ流すと葉いもちが発生するという。 確かにそうだ。 毎年水口から水流があるところで少しだが発生していた。 水温が20度から24度が菌に最適の温度というからちょうど当てはまる。 しかし大事に至ったことはない。 今年はどうするか迷っている。 稲体も成長し水面が見えないくらいに茂っているので36度の気温でも田んぼの水は冷んやりとしている。 稲も大事だが、水中生物にすごく関心があるので彼らの環境も壊したくはない。 急激な水温上昇や水位の低下もしくは中干しなど私は出来ない。 田んぼから生まれたトンボや蜘蛛はもうすぐやってくる恐ろしいウンカの天敵であるから。

一本の苗

稲の苗を一本で植えると植物体として理想的な形で成長する。 深水で成長すると扇型の体型となる。 茎が太く、一本一本が離れているため風通しもいい。 扇型のため茎に日光が当たるので徒長もしない。 本来の稲の姿だ。 分蘖も多く30本以上になる。 私の田んぼを見て欲しい。 あまり見たことのない田んぼでしょう。 しかし、私はただ当たり前のことをしているだけです。

稲そして米への考え方。

基本的に稲体が健全であるなら収量も多く、味もいい。 というのが私の信念。 その環境づくりと方法論を探っている。 人工的な自然環境を作るしかないが、しかし人間も天から見たら生物に過ぎないという視点を忘れていない。

ゲンゴロウとか、

アスペルガーと双極性障害を併発してる自分だが、最近少々テンションが高い。 だが、よく物が見える時期でもある。 はてはて。。 私には田んぼのゴキブリにしか見えないゲンゴロウ。 そう多くはないがよく見かける。 でもミズスマシが圧倒的に多い。 この田んぼで発生していない昆虫はタイコウチだ。 昔はよく見かけたが今は絶滅に近い。 数年様子見て自然発生しないなら、近隣から同じ遺伝子の種を移植するしかない。

そういえば。アメンボ。

いつも見るアメンボ。 田んぼに五万といる。 何食ってんかな? 残飯のかぼちゃに群がってた。 草食かな? 水面に落ちた虫たちを吸ってるらしい。

ウスバキトンボの飛行

千に近い数のトンボが田んぼの上を舞う。 狙いはこの辺りではセセリというセミに似た小さな昆虫を喰らう事。 ホバリングや急旋回、急上昇以外はグライダーのように飛び羽ばたかない。 毎夕、お神酒をあげ、一杯田んぼに備えたベンチで、伺いなら飲むのが日課になった。 田んぼにちょいと酒をそそぎ少しばかりのお願いをする。

ironically

馬の耳に念仏という言葉があるが現代はまさにその様相。 実体験のない現代人は答えをネットに見つける。 が、知っての通り9割は迷情報で、後は統合してアベレージを想像するしかない。 まあ、そのまま信じてしまうものが9割だろうが。 人と話しててつまらないことが多い。 imaginary theoryであるからだ。 体験がない。 virtualにリアルを求めて何になる? 答えはない。 There are people manipulating rice field so that they can only rice.

昭和の空気

まだここには微かに昭和に感じていた子供の頃の空気がある。 匂いとも言えるし、感触でもある。 平和な生きとし生ける。 この感じはなんだろう。 ふと優しくなる。 青草の匂い。

サンマルツァーノ

将来の主力と考えているトマトの生産 単純に利益が高いからだ。 本格的な写真研究所を建てたい私には利益を生む農産物も必要だ。 ダイコン生産者によると昨年は一反あたりの売り上げは年間200万であった。 私の田んぼで換算するなら1200万円。 米では100万もない。 茄子やトマトは売り上げ額は高い作物。 どちらも毎年試験的に植えてるが好成績とはいえない。 基本的に露地栽培しか考えてないので通常のトマトは多雨の熊本には向かなかった。 サンマルツァーノの苗に出会う。 現地イタリアでの栽培法は露地栽培で匍匐性のため支柱も使わない。 試しに植えてみた。 梅雨を過ぎ夏を迎えたが、果実は裂果していない。 もしかもしたらこれならいけるかもしれないと思っている。

人間の力

痛感してるのは一人での力。 開墾している地区がある。 ヤンバル地区 いい水が流れ、いい土があり、いい米が出来るエリアだ。 しかし今は原野に帰りつつある。 私一人ではどうしようもない。 資本を投入しても見返りがない。 地区の人々は力尽きてる。 帰りにトラクターに乗りながら数年後のこのエリアの姿を想像していた。

蛍のいる川

河原の蛍の名所が私の家の前の川であった。 しかし川に生ごみを捨てるおばあちゃんがいた。 時が経ち、おばあちゃんを見かけなくなり数年がたった。 最近は私の前の川で蛍を見かけることがなくなった。 私の田んぼはある意味というより11ヶ月は川である。 生物多様性という割には生物の餌がないことに気づく。 試験的にジャンボタニシによる生ごみ処理を一箇所実施している。 5人家族の生ごみ位ならタニシは2日程で食してしまい跡形もなく残りは彼らの糞と卵だけだ。 タニシの卵から生まれた稚貝はヤゴたちの餌となるのが近年報告されている。 少し連鎖を考えただけでも生態系が豊かになる。 もちろん米にもよい。

冬季湛水田の肥効

川の水を入れただけで特に何もしていない。 糸ミミズが発生した事もなかった。 だが、隣のレンゲをすき込んだ田よりも勢いが良く、背が高く、黄緑のレンゲ畑の田より若干濃い。 ジャンボタニシは圧倒的に多いので数の調整が必要。 今年も水を深水にしてかけ流し、中干しもせず水の恩恵を頂こう。

私の目を楽しませてくれる

ウスバキトンボ 毎朝5時半位になると田んぼの水利を見回りにいく。 そうするとカゲロウのように弱々しく、ぱたぱたと羽化したばかりのトンボたちが数十と、飛んでいく。 美しい光景だ。 彼らは世代を超えて北上していくという。 現代人にとって忘れかけてる思想だなと自分に問う。

雨 あすも雨

呉にいる息子のところへ家族で出かけようと思っているが、あすもこの雨だからどうかな。 個人的には悪天候の呉を見るのも悪くはないとカメラマン的には思っている。 一人なら喜んでいくだろう。 雨の合間を見て今日もカメムシ退治。 ほどほどにしましたが、手で潰したが早かった。 昆虫には気門という呼吸器官があるが、瞬殺するには界面活性剤を羽を広げた瞬間かければいい。 、、てなんのこと? 目的は美しい綺麗な地下水と水を作り有明海に注ぐこと。 農法ではない。 そんな事は考えてない。 収益なんか結果ついて来るものだ。 違う田んぼを見て見たい。

矛盾

自然農法などと言っても矛盾をかかえる。 色々あるが、田に水を引く冬季湛水にしてもいつかは代掻きをしてトラクターで耕す時は天地創造のごとき人為的全滅に近い作業が必要になる。 けさイネクロカメムシの駆除をした、。 植物性界面活性剤と酢の混合液による駆除。 昆虫である彼らは人間に似た爆発的増発力をもつ。 一枚の田んぼを食い尽くすなど訳ない。 初期駆除が必要だが生物多様性に反する。 もともと無農薬農業にしても、そもそも自然のバランスはないのだ。 どんなに自然に近づこうとも人間が考えた管理農業であり、それは縄文時代から変わらない。 最小限で希望する収益を得る。 それしかないのか。 私はどうだろう。 そもそも収益を得ようとして事を起こしたことはないのだか。

行動力

チビがゲーム漬けだ。 否定はしない。 だけどあまりに動かない。 それでいいのか男子。 追記 息子を畑に連れていってトラクタの使い方を教えた。 楽しそうである。 二人乗りして帰ってきた。 ハハ。

手間暇をかける。

効率やコストパフーマンスなどのワードは今後は意味をなさないと思う。 無駄が実は無駄ではなかった。 害虫が実は害虫ではなかった。 生命体が地球なら。 現代人が考えていることなどたかが知れてる。 俺だけ幸せより人も幸せより、虫も生きられ、雑草も生きられ、切りがないけど、、、そういう地球はまだ美しい。 手間暇をかける。 昔の人はよく手塩をかけて、、働いていた。 田んぼを見てこなぎが美しい花を咲かせると知った平安時代の人々が、わざわざこなぎを田に移植した話を聞くと、優雅でとこしえの安泰を願う人々の気持ちがうかがえる。

メダカの放流

私の田んぼで生まれた有明型メダカを数匹水槽で飼っていた。 昨年は数匹から数千匹のメダカが生まれ田の落水と同時に用水路に流れ込むが、流れが早く段差があるため再び私の田んぼには戻ってこれない。 なので冬場は飼育するしかないのだ。 今年は8匹。 それでも信じられない数のメダカが生まれる。

おたまじゃくしもいない田んぼ

それは当たり前に私の目の前に広がっている。 私の田んぼだけには、おたまじゃくしを狙う鳥やその他の多くの生物が生きている。 その他の田んぼは除草剤によって稲しか生きれない砂漠化した田んぼが広がる。 はたしてこれでいいのだろうか。 いいはずもない。 人がそのことを知るのはいつの日だろうか。 私は黙って見ている。 ただ黙っているわけではない、機を見るしかないからだ。

在来種の野稲

いわゆる陸稲。 糯のこと。 この辺りでは野稲という。 近所の米田さんから野稲の種を頂く。 赤餅系の背の高い古い品種らしくとても貴重だ。 その種はこの地で適応してきた種でいく代にも渡って更新されてきた。 ありがたく私も継いで行きたい。 明日は播種。

田植え

3日かけて田植えをする。 自家採種の籾種も健全で35日で18から20センチ超えの苗ができる。 情報では大きい苗は植えにくいとあったが特に問題はなかった。 発見は35日になる苗は硬化が進みジャンボタニシの食害が見当たらないことだ。 田植え機から見る眺め。 無数の小さいおたまじゃくしとホウネンエビやミズスマシ、アメンボが逃げ回ってた。 笑いながら逃げろと言っても声トドがず。 生態系では今年はじめて数十年ぶりにアカハライモリが確認できた。 追記 トノサマガエル ヒキガエルの確認 息子は車が好きだが農業は嫌いらしい。 なので田植えのしかたを工夫して風通りがいいようエアインテークをデザインして植えた。 それを食卓で言ったら息子はなに?と興味を持った。 翌朝田んぼの様子を見せたら おお と驚いてた。 俺ニヤリ。 苗150枚作ったが残36枚

塩水選 温湯消毒 浸漬

2018年は10月1日収穫 6月1日田植えのスケジュールを組み、最初の作業である種籾の選別と浸漬を行なった。 昨年秋のウンカの被害が少しあったので10日早めた。 高温障害に強いにこまるを使うから出来ることだろう。 自家採種一年目の種籾を使用。 塩水選によって半分以上が浮いた。 温湯消毒は水温62度 種籾を入れたら55度となったので15分。 浸漬は水温18度、木酢液をいれる。 追記 イタリア米を検討

肥料

2018年は万次郎かぼちゃ3.5反を作付けする。 一反あたり鶏糞75kg  ぬか20kgを入れ耕起した。 指定の施肥量と比べ三分の一だろう。 また今年は昨年燕麦を2期作施し緑肥としている。 無化学肥料で行う。 懸念は鶏糞で多くの殺虫剤や薬品が混ざってることだ。

蛙の産卵

冬期湛水2年目の冬、今年も一番寒いこの時期に蛙が田んぼに卵を産み付けていた。 アカガエルの仲間と思われる。