early at 9pm
写真の研究をなんに結びつけるのか?当然環境だ。地味な手法では人々は関心を示さない。もっと達悪いのは、どんなにお金をかけて撮影しても、手法がありきたりなら浮上は出来ないし世の中で評価されない。つまり自分をいちばん消費してしまうという現象が起きる。浪花節的にわてはがんばってまっせ。とつぶやき自らを励ましても結果は出ないというスパイラルだ。 この構図は私こそ多く経験しているので良くわかる。私が違うのは実は答えを知ってると言う点にある。本来こうあるべきだという手法を既にもっている。オリジナル性は写真の場合。理論で言うなら入力であるレンズと出力である印画紙を市販のものを使わずオリジナルで制作すればいいだけだ。少なくとも写真の歴史を紐解くと新しい機材、新しい感材を使ったときに新しい表現が生まれている。才能という言葉に多くの者が翻弄されているがそれは取り違えでしかない。才能を考える必要は全くないと結論付けて構わない。その方が自由である。もっと列記とした理由があるがここでは割愛したい。 天才は天才ではない。天才という才能は無い。天才と言われる者は自らを天才など考えていない。天才とは他者が考えた言葉でしかない。人間が神と言う支配するための創造物を作り出したが故、救われる反面、苦しみが多くなったのと同じ構図だ。アーテイストは常にそのスパイラルを壊してきた。そして新しい自由を提供して来たとも言える。環境問題は現代社会が作り出した結果である。私はその結果に対してアプローチする作品制作が仕事であり私の表現である。