投稿

農業は人為的な群生的生産

農業の農作物の理想的な形態は群生に他ならない。 そのように私には見える。 一面に広がる稲田、麦畑、トマト畑 それらは視覚的には群生の形態を示す。 しかしそうならないから除草や多くの農業の技術が必要になる。 その結果の形態であるから群生ではない。 私は群生を圃場に作りだしたいと考えている。 草が生えるから除草をするではなく、草が生えないようにする。 収量や品質の前にこの件に取り組む。 できるだろうか。

他人にはわからない個人の人生

おもしろいね。 このテーマ。 わかるはずがない。 でもね。 いろんな人がいるから成り立っている。 その事実を忘れてはいけない。

陸稲への思考

おそらく私が向かってるイメージは、群生としての稲の姿。 それを陸稲でやろうというもの。 本来の稲の群生を作る。 具体的な方法は群生の条件を畑で再現する。 籾を蒔き耕し、レンゲで肥料を補い、多量の種を蒔き、籾殻と稲藁を推積する。 稲を雑草と考えるならこれだけで好条件は揃う。 稲の自然栽培をよく森の木に例える方がいるが条件も植生も全く違い話にならない。 私は写真家としてイネ科雑草のセイバンモロコシにスポットを当てた。 条件は変わらない。 さてと やるか。

セイバンモロコシの群生

川沿いに生えるセイバンモロコシの群生の一本を引き抜いて見る。 根は浅い。 この形状は陸稲の密植栽培と同じだと気付いた。 おそらく1町近くの目の前の群生は、同じイネ科の仲間である。 私の脳裏にはこの群生の姿が陸稲のそれと同じに見える。 密植した所には雑草はわずかしか生えていない。 これが自然な姿であるなら、稲もきっとこのような形態になるだろう。 たとえ品種改良した現代の稲でもそういう素性はあるはずだ。 無除草栽培であるためには群生がキーワードだろう。

透き通る米

にこまるの米は透き通る。 事実だけ伝えたい。

止まらない

止まろうと思ったがそういう性格ではない。 ただ、一年を通して検証する時期ではある。 米に関しては食味の課題が残る。 旨いがあっさりだ。 これはこれで有りだが。 後は残り1町の畑の有効利用だろう。 まだ麦に踏み切れない。 理由は麦を脱穀乾燥などのインフラ環境がここにはないからだ。 コンバインは何とかお願いできたが、それから先は大津町まで行く必要があり、効率が悪すぎる。 やればわかるが、一時的に家に保管したとして、1トンある麦のコンテナをどうやって運ぶことが出来ようか。 それが幾つもあるのだ。 米に関するインフラは当然整っている。 陸稲が効率がいい。 諸問題を解決したい。 1.6町の圃場を二期作もしくは二毛作にすれば3.2町の圃場になる。 私は今このことに集中している。 借りることは容易いが、人間関係が発生し、私は対応できない。 3.2町あれば私の目的は達成する。

観点

私の農は近代以前の農の在り方の再現と現代の品種と現代の機械を用いて、現代の環境や気温、天候を考え順応、発展させようというもの。 無農薬、無化学肥料、無施肥などの観点から農を見ているわけではない。

今年最後のカボチャの収穫

親子3人での収穫。 子供が10代のうちに体験できることが大切だと常日頃思っていた。 10代のうちに一度経験しておくと、将来始める時になんの躊躇もなく取り組める。 次男はよく手伝うが、カボチャの収穫は初めてだ。 間に合ってよかった。

新代継橋からの眺め03

季節は秋 イネ科雑草のセイバンモロコシの群生が見える。 セイバンモロコシの実を食べるスズメの行動が楽しい。 川の水は夏とは変わり柳茶色に変わる。 田んぼから水がなくなると同時に植物性プランクトンが減少している。 観察からいろんな想像が私の中で膨らんでいた。

疲れたかな

かぼちゃの出荷があと1回で終わる。 来年用の土作りとして耕し、レンゲを蒔いたり、麦を植えたりと少しずつやる毎日。 何気に疲れが出てきた。 韓国でも行こうかな。

満月を見ていて引力の何が万物に力を与えているのだろうと考えていた。 有明海においては佐賀県住之江の六角川の河口付近で潮位差6メートルで月と太陽の引力。 植物も人間にも何らかの影響がある。 何の力だろうか。 引力がどう作用するのか。 まさか満月と三日月や新月などといった見え方の形の差でもあるまい。 月の秤動の動画を見ていた。 秤動自体の揺れ動きよりも月の大きさの変化が気になった。 月の軌道は楕円形で地球までの距離が変わる。 遠地点が406400km  近地点が357000km  差が49400km これかなとぼんやり思ったが根拠はない。 天体は好きだがあの数式は理解できない。 農業にも月の満ち欠けから判断した農法が古来からある。 なかなか魅力的で面白い。 月か。 無視はできない力だな。 https://www.youtube.com/watch?v=3f_21N3wcX8&fbclid=IwAR3xqfXTecv-4_f6JHtiHMxWYNVTUIsF0tZgD2Y-SUiQkcaL_ifZuE7Iybo

かぼちゃの出荷

万次郎かぼちゃの出荷が始まる。 カミさんが手伝ってくれるので助かる。 昨日は1100kgを納める。 圃場での収穫は今度の日曜日で終える予定。 かぼちゃには相変わらず興味をもてないが、まあこれもいいかなと思うようにはなった。 カミさんは次男の大学の学費にと 米と、かぼちゃの売り上げは貯金するらしい。 研究や実験で楽しんでるからかまわないけど、小遣い欲しいな。 密かに小遣い畑を作ろう。

韓国語が心地いい

なんでかな。 いいんだよ。 隣国でしょ。 仲良くしようよ。

最悪の耕作地の改良

宮ん上の圃場は盛り土をして出来た畑で何もよく育たない。 実験材料には最適でここで収量を確保できたら理論は正しい事になる。 こういう事に私は意欲を掻き立てられる。 無理が好き。 土の構造変化にえん麦を3作し、漉き込み。 籾殻を軽トラック5台投入。 耕し、レンゲを蒔く。 来季はにこまるを密植栽培。 レンゲを漉き込み、種を10倍蒔き、籾殻と稲藁をマルチに覆う。 さーてどうなるか。

観察からの楽しい実験

圃場を耕した後しばらくすると雑草が生える。 それは群落の時もあるが、大概は一種類の群生が多い。 圃場の中には季節季節の雑草の種が大量に埋蔵されている。 この中で私が興味があるのは群生だ。 このシステムを上手く使えば耕すだけで野菜が作れるのではないかと考えている。 群落や群生のメカニズムを学び実験してみよう。

パクチー

イタリアン食堂のシェフとオーナーがジョギングで家まで遊びにきた。 香草が欲しいという。 何も植えてないなと思ったがパクチーがあるかもと思い浮かぶ。 夏に一度耕しただけのヤンバル地区の小さな畑。 昨年コリアンダーの種を蒔きそのままにしておいた。 軽トラに乗って3人で出かける。 二人はいつも荷台に乗って子供のように笑っている。 ラリーのごとき私の軽トラは山道を駆け上がる。 あった。 ちょうど良いサイズのパクチーが群生していた。 ひと握り引き抜いてシェフに渡すと香りを嗅ぎニコッと笑う。 これで行くと決めたらしい。 美味しいパクチーの香りはカメムシではない。 もっと爽やかで清々しい。

ボンベイサファイア

当時モデルだったまりちゃんが作る酒はストロングでヘビー 本人はバーテンダーが本職だ。 たまにふらっと街に出かける。 大概バーに行く。 ジン頂戴というと、冷凍庫に冷やしたボンベイサファイアを取り出し、ライムを添えてスカッと出す。 旨い。 彼女の酒は本当に効く。 何故かわからないが、その辺のカールズバーみたいなチャラチャラした物とはレベルが違う。 絶賛はドライマティーニ 幾人かのスタッフはいるが、このオーダーに関しては必ず本人がつくる。 まーた。 行って見るか。 頭の中のノイズが限界だ。

百鬼夜行

亡くなってしまったが、相棒だったライターが私の写真集を作るときはそのタイトルにしなさいと言った事を思い出した。 当の本人は当時私が乗っていたボルボのリアでいきなり琵琶を弾いたり、大分県杵築の城跡で深夜に琵琶をジャランと鳴らしていたな。 どっちが百鬼夜行かと思ったが、仲の良い相棒を失った事は本当に残念だった。 百鬼夜行か、そんなタイトルつける事はないだろうが ( āmēn ) rest in peace

基本を知る

考え方の順序は 今の圃場の地力がどのようなものかを知ることから。 次に無施肥で作物を作ったらどうなるか。 肥料を入れる前に地力窒素を最大限活かす工夫をする。 どうしても必要な成分があったらそれを補う有機肥料を追加。 最初に肥料ありきではない。 肥料を入れればいいと言う考え方では病害虫の発生や植物の生理障害、窒素過多による食味の低下や安全性の低下に繋がり、農薬の使用が不可欠となる。 肥料は最低必要量で抑える。 幾人かのプロの農家は秋のひこばえで判断する。 ひこばえの出る田んぼは窒素が多すぎるという。 私は懐疑的だが一理はある。 写真の最初の上達は足し算引き算で始まるが、多くは引き算だ。 必要ないものを消去する。 すると見えるものが画像に浮かぶ。 農に関しても同じことが言える。 焼畑、輪作、家畜糞、人糞、 化学肥料へと肥料の歴史は変わる。 その歴史を知らない我々現代人は何も足さない自分の圃場で作物が育つかを知ると学ぶことが多い。 全ての面積で実施する必要はなく、圃場の一角を使えばいい。 私は今体験を通して、農の基本を探すために古代へと歴史を遡り農がどのように発展してきたのかを調べだしている。 色々な歴史を積んだ農の技術は多く、当たり前にやっている事が何のためにやっているのかを知らないままに慣習でやることが多い。 私はひとつひとつの意味を知りたい。 写真では全部を撮りたいと常に考え。 農では全てを知りたいと常に考える。

何も変わらない

妻が笑っていう。 あんた私が若い頃に言ってた事と何も変わらんたい。 私は? 変わるはずもない。 わけわからん事言うなと思ったけど。 なにげに嬉しかった。