会話全体の流れを日本語にすると、概ね次のような内容です。 Helena あなたの写真が持つ二重の分析的意味が好きです。美的な表現としての写真であると同時に、画像の科学的な関係性も感じます。まさに画像の多義性ですね。素晴らしいです。 あなた ありがとうございます。私の写真にある二重の意味を感じ取っていただけて嬉しいです。私の作品は、時間・知覚・現実のあいだに存在する微細な位相差を探求しています。私は、写真には一見しただけでは見えない複数の意味の層が含まれていると考えています。 Helena 画像の記号論的分析とは、鏡の向こう側を解体し、その写真が持つ豊かさを明らかにすることです。あなたの写真は、私の中に写真への情熱を呼び起こし、視覚的メッセージの背後にあるものや、時間・知覚・現実の相互関係を学びたいという気持ちを起こさせます。まさにあなたが言うように、一枚の写真には一見しただけでは分からない複数の意味の層があります。私は毎日何かを学んでいますが、あなたの写真は新しい発見を与えてくれました。 あなた 微小位相差論について説明してみます。 写真は、動いている現実を本当に停止させることのできる唯一のメディアです。絵画は時間をかけて作られ、ひとつの瞬間を止めたとは主張しません。映画や映像は現実を動かし続けます。しかし写真だけが、一瞬を切り取り停止させます。 私の理論は、その停止した瞬間を二つ並べることから始まります。同じ対象、同じ現実を、わずかに時間をずらして撮影した二枚の写真です。一見するとほぼ同じですが、完全に同じではありません。光や身体の位置、影、画面内の要素などに微細な差異があります。 その小さな差異こそが理論の核心です。一枚の写真は停止した事実を示します。しかし二枚を並べると、その間から写真が抑圧していた時間や運動が再び漏れ出します。鑑賞者は二枚を見比べながら、そこに動きや時間や因果関係を再構築します。意味は写真の中ではなく、その間隔から生まれるのです。 だから双構図は単なる形式ではなく知覚の装置なのです。微小位相差は物語の連続ではなく、現実そのものの微かな振動として現れます。 Helena 写真をめぐる言説は、絵画や彫刻や建築とは異なります。私たちは写真を見ながら言説を作ることはできず、後からしか語れません...
少ししたらおそらく僕はヨーロッパ圏を旅して周っているだろう。 空の下の博物館といわれるアルメニア。 スペインのイビザ島。 コペンハーゲンの世界一のレストランNOMA。 クロアチア・ドゥブロヴニク「アドリア海の真珠」と呼ばれる港町。 スコットランドアイラ島にあるスコッチ・ウイスキーのボウモア蒸留所。 イタリア各所。 フランス ルーブル。 ヘルシンキ。 バルト三国 十字架の丘。 ただ思うね。 普段の僕のままの生活が向こうにもある気がする。 そして思うね。 ここでの生活もまた向こうと変わらないよ。とね。 I Am Always Myself Soon, perhaps, I’ll be traveling around Europe. Armenia, known as a museum beneath the open sky. Ibiza in Spain. NOMA, the world-renowned restaurant in Copenhagen. Dubrovnik in Croatia, the port city known as the “Pearl of the Adriatic.” The Bowmore distillery on the Isle of Islay in Scotland. Various places in Italy. The Louvre in France. Helsinki. The Hill of Crosses in the Baltic region. And yet, I can’t help thinking: I have a feeling that my ordinary life, just as it is, will somehow be there too. And then I think: Perhaps the life I live here is, after all, no different from the life I will find there.