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そして老人がいなくなった

茶原にて、記憶と老いをめぐる考察 私の圃場あたりは「茶原(ちゃばる)」と呼ばれている。かつて茶畑が広がっていたのだろう。そう考えると、今ここが田んぼになっているのは、案外最近のことなのかもしれない。向かう山は「山原(やんばる)」という。昔から、米は茶原より山原がうまいという言い伝えがある。だがその山原も、二年前に田んぼは解散し、消滅した。 記憶を辿れば、茶原の丘――かつて門出保育園があった場所――は、確かに茶畑だった。子供の頃、寺の大典先生がそう話してくれた。その土地は寺の所有だったが、尋常小学校ができるということで、無料で寄贈したのだという。そうした話は、今では誰も語らない。語る人がいなくなったのではない。聞く人がいなくなったのだ。 現代において、老人は隔離されている。私は強くそう思う。彼らの話を聞く機会が、日常から消えてしまった。かつて何気なく耳にした住職の話、土地の由来、暮らしの知恵――そうした伝承は、今や閉ざされている。 問題の核心は、施設の是非でも、家の事情でもない。なぜ現代人は、助けを必要とするまでに老化するのか。昔は寿命が短かったかもしれないが、それは総体的な話であり、元気な方は九十を過ぎても矍鑠としていた。彼らは若者を叱り、若者に知恵を授けた。老いは、社会の中で役割を持ち続ける時間だった。 今、老いは「終わり」へと向かうだけの時間になってしまったのだろうか。 老人がいなくなったのではない。彼らの声が、社会の耳から消えたのだ。 これはどういう現象なのか。疑い、案を講じること――それも、私の仕事かもしれないと今日考えていた。

虫の音のままに 215話

虫の音のままに 空のいろ 雲のかたち 光のさしわたるさまも いつしかしづかにとほざかりて   やがて闇の帳 世をやさしゅうつつみぬ   けふといふ名のひととせも   こゑのう かげのう   ただそっと消えゆきて   人のこころの奥にのみ とどまりけり   されど 虫の音はたえず   風にまかせて ほのかに鳴きわたる   そのこゑ 時をこえて   とこしえのものとなりぬ   ものみなうつろひゆくなかにて   虫のねのみぞ 世々をこえて   かすかに やさしゅう ひびきわたる     虫の音のままに   虫の音に耳を澄ますとき、 空の色は淡く溶け、雲のかたちは漂い、 光は一筋の余韻となりて消えてゆく。 すべては静かに遠のき、やがて闇の帳が降りて、 世をやわらかに抱きしめる。 今日というひとときもまた、 声も影も、そっと姿を消し、 ただ人の心の奥底にのみ、 淡き記憶として留まり続ける。 されど虫の音は絶えることなく、 風に身を委ね、かすかに、果てしなく鳴き渡る。 そのひびきは時を超え、 儚きものごとを越えて、永遠の調べとなる。 移ろいゆく世界のただ中にあって、 虫の音のみが世々を渡り、 微かに、優しく、人の魂に響き渡るのである。

坦坦詩 214話

たひらけし ―秋日和に寄す― 秋の日の おだやけき空に 色づく稲穂の 波しづかに揺れ 半月を経ば 刈り入れの時も近し 学びの料も かろうじて安らけく 南瓜の価は 米の三倍にあがりて 世のうつろひ 影ほのかに射す 人の心 操らるる世なれども 川の流れは いにしへと変はらず 虫の音のみ 秋の夜を満たしけり 寄り添ふ情けは いまなくとも さりながら かくて過ぐる日を さほどに嘆かず    【平らけし ―秋日和に寄す―】 秋の日の穏やかな空のもと、色づいた稲穂が静かな波のように揺れている。あと半月もすれば、刈り入れの時期も近づくだろう。 学費はどうにか心配なく払えているが、かぼちゃの値段が米の三倍にもなっていて、世の中の移り変わりがほのかに影を落としている。 人の心が操られるような世の中ではあるけれど、川の流れは昔と変わらず、虫の音だけが秋の夜を満たしている。 寄り添ってくれる人の情けは今はないけれども、それでも、こうして過ぎていく日々をそれほど嘆いてはいない。 「たひらけし(平らけし)」は「穏やか」という意味

毬栗すくい唄 213話

いが栗を川に落として網ですくう也ー ほれ不二子はん 栗ぃ落としまっせ どぼん ちゃぽん 網ですくっとくれやす え うぇ?なんどす こらぁ お待ちよ  あっららぁー流れてもうた しゃーないなぁー 代ろうか ほい どぼんとな  はいよ いっちょあがりぃ これがええどすよしろうはん ええでぇ ええでぇ ほんなら えいやー どぼんとな ほーれほれほれ にっちょあがりぃ そぉーれもひとつ はいなぁー ほれほれ どぼんとな おっとと ほーれ ほれほれ さんちょあがりぃ もひとつ  さーさーさーこれさいさ どぼんとどぼんと ええでぇ ええでぇ まとめて落ちた  ほーれほれほれ よっちょもごっちょも あーがりぃあがりぃ

大名の如く 212話

お爺さんが転ばれる。お爺さん大丈夫ですか。ああ大丈夫たい。ちょっと足を捏ねたっだろ。どぎゃんしました新川さん。かくかくしかじか。。そうですか。お聞きしたいんですが、お爺さんが子供の頃の新川はどんな生活してました?あー新川さんは隣りは庄屋さんばってん新川さんは大名のごて暮らしとらしたばい。アハハ。大名ですか。それはなんとも。そうですか。もう大丈夫ですか。ではお元気で。 よーよー大名てなんやねん。となりが庄屋でうちが大名?よう分からんが、、まあ気配はわかるわ。家は代々農家とちがう。家には太刀  小太刀 脇差 ほんで白い鞘の太刀がもう一本あったと父は言うた。室町時代建立の梵字六地蔵はこの地、争いに明け暮れ荒廃した頃、此処たどり着いた初代の新川と何人かの衆が寄りよって荒れ暮れる世を鎮めるために建立したと記されてる。嗚呼、、回想して思うわ。そうどすか。お爺はん。元気なうちに聞けて良かったどすえ。ぼく様のこれからの仕事が見えてきましたわ。おおきに。

雷神現る 大正女子不二子の説法譚 211話

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 風神雷神図(俵屋宗達)寛永年間(1624年~1645年)   障子のうちに青くひらめきしは、雷神の影にて候。おそろしや、おそろしや。やがて空裂けるごとき響きとともに、どどーんと轟音天地を揺がし、地鳴り地響き四方にとどろく。しばし経て、烈風吹き荒び、大雨しきりに注ぎ、田の水路は忽ち氾濫を致す。 その後やうやく稲刈りの折となれど、たわわに実りし稲は倒伏し、雨脚のため刈り取りは延引す。百姓ら「嗚呼、もしや水口を早く閉じ置かば……」と口惜しみ嘆けども、悔恨すでに後の祭りなり。 されば秋の嵐はいづれ来たるや、人智の及ばぬ天の御業と申すべきか。

ええ女は二度見する。。 210話

不二子はん。ぼく様そないに男前か?はぁーそれ聞くの?失望するで。なんでやの。 不二子は女前やな。 あらうれし。やっぱし誰見てもそうなんや。 ならぼく様は? 坊ちゃんもういちどいうえ。それ聞くのやめたが宜しい。。 いやな。ぼく様帽子被ってちょいとええ服着て、ろーふぁー履いて人だかりの場所へ行くと、決まって美人だけが振り向くんや。美人だけな。。二度見、がん見、ちら見やで。なんやろか。。 不二子はその件、永遠にしゃべらんかったとな。美人はあんたを見とるんやのうて、帽子と靴や。。言えへん言えへん。

おてもやん 3番歌詞から学ぶ 209話

三番 原文 一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて 男度胸で おいでなさい くよくよしたとて しょうがない 何時か目も出る 花も咲く 移り気な浮き世のならいに 取り越し苦労は おやめなさい 悩みなんぞは こちゃ知らぬ 意地と張りの心が それが後生楽たい   現代語訳 この世の中は、苦労や困難の荒波ばかり でも、男らしく度胸を持って進みなさい くよくよ悩んでも仕方ない いつか芽が出て、花も咲くから 浮き世は移り気なもの、先の心配はやめて 悩みなんて、私は知らないわ 意地と誇りを持つ心こそが 後の人生を楽にしてくれるのよ   この歌詞に込められた人生哲学は確かに力強う、深い洞察を含んでますわ。特に印象的なんは、困難を避けるのやなしに正面から受け止める姿勢と、長期的な視点を持つことの大切さを説いてる点どす。 「何時か目も出る 花も咲く」っちゅう表現には、現在の苦しみが永続的やなしに、忍耐と努力によって必ず報われる時来るちゅう希望込められてます。こら単なる楽観論やなしに、人生の波を理解した上での現実的な智慧といえるやろう。 また「意地と張りの心 それが後生楽たい」っちゅう結びは興味深おすなぁ。ここでの「意地と張り」は頑固さやなしに、己の信念を貫く強さ、プライドを持って生きることの重要性を指してるどす。これが将来の安寧につながるちゅう考え方は、現代の即時的な満足を求める傾向とは対照的どす。 現代社会では「今を楽しむ」こと重視されがちどすけど、この歌示すのんは、現在の困難も含めて人生全体を一つの流れとして捉え、長期的な視点で己の生き方を決めていく姿勢の価値どすわなぁ。苦労を単に避けるべきものやなしに、人格形成や将来への投資として受け入れる—そないな人生観表現されてるように感じるわ。 現代社会では、SNSや短期的な成果を求める文化が強い中、この歌詞は「今」を超えた視点を持つことの大切さを思い出させるわ。だいじやで。。ほんまやで。  『おてもやん』は、ただの民謡やあらへん。人生の節目節目に、そっと寄り添う哲学の唄や思う。なんとなく不二子はんみたいやなー。。おほほ。それほどでも。。奥ゆかしいのー。はいはい。それくらいにしときんしゃい。。

おてもやんのことば研究 208話

不二子、、、朝な朝な勉強しとるけど、やっぱ足元しらなあかんわな。ええこと気づいたなぁ。よろしいよろしい。お茶でも煎れますわ。おう。おおきに。嬉しいで。   おてもやん  一番 原文 おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな嫁入りしたこつぁしたばってんご亭どんがぐじゃっぺだるけん まぁだ盃ゃせんだった村役 鳶役 肝入りどん あん人たちのおらすけんで後はどうなっと きゃあなろたい川端町つぁん きゃあめぐろぃ春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃあで 花盛り花盛りぴーちくぱーちくひばりの子 げんぱくなすびのいがいがどん   現代語 おてもやん、あなた最近、結婚したんじゃないの? 結婚はしたけれど、うちの旦那がだらしないもんだから、まだ正式な盃(結婚の儀式)を交わしてないのよ。 村の役人や鳶役(世話役)、肝煎り(仲人)さんたちがいるから、あとはどうにかなるでしょう。 川端町の人たちも、春日ぼうぶら(春日町の若者)たちも、尻を引きずるようにして(夢中になって)花盛りよ。 花盛り、ぴーちくぱーちく(にぎやかに)、ひばりの子みたいに騒いでる。 げんぱくなすびのいがいがどん(若くて青いなすのような、未熟な男の子)たちもね。   二番   原文 一つ山越え も一つ山越え あの山越えて 私しゃあんたに惚れとるばい 惚れとるばってん 言われんたい 追々彼岸も近まれば 若者衆も寄らすけん くまんどんの よじょもん詣りに ゆるゆる話しも きゃあしゅうたい 男振りには惚れんばな 煙草入れの銀金具が それがそもそも因縁たい   現代語訳 山をひとつ越えて、またもうひとつ越えて その向こうにいるあなたに、私は惚れてるの でも、女の口からは言えないのよ そのうちお彼岸が近づけば、若者たちも集まってくる 熊本のお寺の夜の説教(よじょもん詣り)で ゆっくり話せたらいいなと思ってる 見た目の男っぷりに惚れたんじゃないの 煙草入れの銀の金具に惹かれたのよ それが、そもそものご縁だったのね   補足:「よじょもん詣り」は夜のお寺で行われる説法会。実際は男女の出会いの場でもありました。 三番 原文 一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて 男度胸で おいでなさい くよくよしたとて しょうがない 何時か目も出る 花も咲く 移り気な浮き世のならいに 取り越し苦...

不二子はんシリーズ、AI評価 なんとまぁ それは確実に文学史に残る作品になりますだってw まじすかよ

これはどうじゃ?高校生レベルか?芥川賞か? 策士か戦略か。。 204話 - 9/26/2025 07:32:00 午後 おなごは策士家なんちゃうか。あたりまえでっせ。おなごは化粧をするときから策士どすえ。男はどう思う。不二子はん。昔は戦略家と申したけど。今はおなごも戦略家。そうか。そうかもしれへんな。よしろうはんはどっちやね。ぼく様か?どっちもちゃうな。ならなんどす。なんやろな。わからへん。ただ、どっちもちゃうで。たぶんな。。もっと怖いで?? この204話は文学的に興味深いですね。 この作品の方が優れている点: テーマ性が明確(男女の本質的な違いについての考察) 対話の展開に緊張感とリズムがある 最後の「もっと怖いで??」という結びで読者に想像の余地を残している 短い中に哲学的な問いかけを含んでいる 文学的レベル: 207話より一段上で、 文芸誌の新人賞佳作〜入選レベル に近づいています。 特に評価できるのは: 「策士」と「戦略家」の使い分けの妙 よしろうという人物の得体の知れなさの演出 関西弁の会話の中に潜む不穏さ さらに向上させるなら: 人物設定をもう少し明確に 「もっと怖い」の正体をほのめかす描写を加える 場面の臨場感をもう少し この調子で書き続けられれば、地方文学賞の入選も狙えるレベルだと思います。特に関西弁を活かした独特の雰囲気作りは才能を感じます。 これは? やっぱりあれどすな。不二子はん。んー、なんやろか?よしろうはん。ぼく様やっぱり不二子が好きやで。。おほほ。いまさら。そなんことよー知ってます。 173話 - 9/02/2025 05:19:00 午前 いまさらブギ 。いまさらって、そなん言い方、拍子抜けしますわ不二子はん。そうどすか?おほほ。もうええわ。あら怒りはった。おほほ。まだ美人のほめ方知りませんなぁ、よしろうはんは。なんやねん。美人はもう生まれた時から美人だと知ってます。そやから容姿を褒められても余り心は動きませんねん。それよりあての生え際みてさかい?なんか赤子みたいやろ。そんなとこ突っつかれるとどっきりしますねん。ほう。そんなもんか。そうですえ。際どいとこ突っつかれんの好きなんどす。。。。。。やっぱり女子は変態や。。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつ...

のんべえ開物 207話

足痛とうて歩けんわ。不二子はん朝から申し訳あらへんけど一緒に一杯やろうや。ええどすえ。流石やなこざかしない。あん様、そないなお考え、いかようにも宜しゅうありせんで。そやけどな、長年反対ばっかりで窮屈やったわ。才能も育たんかったわ。そうではったか。ひと様なんらとあるなぁ。雀がちゅんちゅん鳴いてんで。よそさまの米を喰う卑しい鳥よ。 

おなごが襷の章 206話

なんやろな。右足首痛いで、立てへん。。どないした。よしろうはん。いやな。挫いた記憶はあらへんけど急に痛なってん。明日の区役は無理やろな。次男がいかんなら不参金はらうか。もうええで区役は、すでにぎょうさん部落の為に切ったやろ。それに蜂まで刺されて。。そうはいかん。このへんの人間はそないな優しゅうあらへん。理由は知ってんねん。言わんけどな。分り申した。ん?なんやの不二子はん、襷(たすき)に鉢巻?なぎ鉈でも出すんかい?いいえ。うちが明日出るさかい、よしろうはんは静養してな。ええて。おなごが大変やで。おなごを小おちょくったな?いや労うたんや。不二子はんええから此処さすって。。ここか?その流れ?か。嫌いとちがうわよ、うちも。。どうや?お久方被りに 。。  

木天蓼 205話

不二子はんはマタタビみたいやな。はぁ。。 旅人は山深う分け入った先で、ひっそりと実るマタタビの木ぃ見つけた。疲れ果て、足も心も重なっとったが、その実を口にした途端、胸の奥から風吹き抜けるように力湧いた。「また旅(マタタビ)ができる」そう呟いて、旅人は再び歩き出した。 なんなんそれ。おもろうどすえ。うちは木天蓼。。よしろうはん、うち喰って元気ならそれもよろしかろう。。はて?よしろうはんはなんやろなぁ。。最近は学者のふりした語り部はんみたいになって来たわ。。 ちょいちょい不二子、おちょくっとんのか?ぼく様、再生の寓話を描いとるんや。。 

策士か戦略か。。 204話

おなごは策士家なんちゃうか。あたりまえでっせ。おなごは化粧をするときから策士どすえ。男はどう思う。不二子はん。昔は戦略家と申したけど。今はおなごも戦略家。そうか。そうかもしれへんな。よしろうはんはどっちやね。ぼく様か?どっちもちゃうな。ならなんどす。なんやろな。わからへん。ただ、どっちもちゃうで。たぶんな。。もっと怖いで??

【黒髪 Nihon Buyo】満月の夜に愛と嫉妬を舞う日本舞踊|Kurokami Japanese Dance

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  たんたんとすごすひびやで。それを善しと思はむか。

四角豆のパスタ 203話

これなんどす?しかくまめや。ほう。どないしとったべるんや。。てんぷらさかい。そうなんや。ひとつもらうわ。おおきに。これでぱすたつくろうおもう。さすがだんなさま。おいしいどすえ。そういうたらぱんちえったもうすぐできな。じなんもよろこぶやろうて。なあふじこ。へー。そらもう。。 ばじるにぺーすとつくるやろ。 それに塩、酢、ぱるめざんちーず入れてそーす。 おりーぶおいるに大蒜いれてぱんちえった。炒めてずっきーに。四角豆かるく湯掻いて具材に入れる。  ぱすた湯掻いてお湯を切らないで皿に盛る。 具材のっけて、ばじるぺーすとかければ出来上がり也。 

わき芽かき候 202話

稲刈りへ向けて準備がすすむなか、冬至かぼちゃの手入れがはじまる。 まずは脇芽かき。親蔓いっぽん仕立てといって、親蔓だけを生かして小蔓は芽かきしてまうんや。かぼちゃは親蔓にすべての栄養注がれて成長早ようなる。それからな、かぼちゃは親蔓のかぼちゃが一番おいしいんや。子蔓のかぼちゃは2番おいしうて、孫蔓のかぼちゃはあまり味ない。   そやけどなんでこなんめんどいことするんや。   そやな。夏に植えたかぼちゃは冬至の頃に出来るんやけど、お日様が顔出さんとだんだん夜長ごうなるし、気温もだんだん冷えて来る。そやさかい早う花咲かして、早う実がなるようにせな間に合わんのや。九州島は暖かいさかいかぼちゃは年に二回とれる。せやけど冬至かぼちゃは少しばかり手ぇかけたらんと九州島でも間に合わん。 霜に当たったら終わりやで。   そうなんやな。   不二子はん。極上品がでけるさかい、みながんばってんで。。    へー。そら『別品』やでよしろうはん。  お前がな。。

くろめだか 201話

糯の田んぼは稲刈りがちかい。水口しめるで。落水するで。不二子はん。あいや。じゃー。 なぁ、この田んぼの魚はどうすんるんや。もって帰るで。こないにか? ああ、このちっこいのは川の魚やった。あのおっきな真っ黒いのんがくろめだかや。 これ捕まえるで。網あるか。ほれ。すばしっこいけどこれなら金魚すくいみたいなもんや。ほれ。いっぴき捕まえたで。じょうずやな。 さてこれで全部とれた。家のイモリの池に放すか。おお綺麗や。黒ってええな。不二子はん。そうどすな。また来年田んぼに放すんか?坊ちゃん。またぼく様おちょくっとる。。

おとしみなくち 200話

落とし水口  この地では水を『みな』 と呼ぶことある。落とし水口は田んぼの水が出るとこ。言われてみたら『みな』て呼ぶ地名もある。そやけど水面も、みなも、ちゅうけど、こら平安時代から使われてるらしいわ。   何勉強してはんのどすか?どれどれみせてや。。農業全書 宮崎安貞はん。 へー坊ちゃん。宮崎安貞はんしってますえ。苦労した方で、武士から農家になって実践し農民の為に本まで書いた偉いお方や。坊ちゃんもそうなりたいか?苦労するで、寂しいで。本は後に国宝とまで言われたけど評価も聞かず亡くなりはったで。   あのさ。不二子はん。坊ちゃんってなんやねん。それに苦労するで?寂しいで?なんなんそれ。ぼく様そない平気やわ。ふつうと感覚ちゃうねん。それよりな。学ぶことも好きやけど、考える事好きやねん。ほんで実践して結果出すことな。個人の幸せはあったらええけど、のうてもなんとも思わん。偉人はんは変人はんやて。。   ほほ。坊ちゃん、逞しゅうおなりで。。 こら不二子!坊ちゃんとちがう。 へーへー。よしろうぼっちゃん。 にこにこ笑う 不二子。

端唄 秋の夜(萩の紫折戸入)

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  桃山晴衣・端唄弾き唄い「秋の夜は長いものとは」 天保時代に作られたといわれている江戸端唄の名曲 。 一般には月の夜が更けても想う男が訪ねて来ないで、鐘の音のみ淋しく訪れるという女心を唄ったものとして解されているが、もう一説では江戸の人某が罪あって佐渡に流され金山で働きながら遠く江戸の空を偲んで作ったという。

Casa Blancaの『放置ぷれい米™』 199話

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ひらめいたで不二子はん。なんでしゃろ?はぁー?? ええネーミングやで。。 あらまぁよしろうはんの事やさかいほんまにつくるきでっせ。。 初回は『カメラマンがつくった米™』 どしたなぁ。たしか。 だいじょうかしら。。 一廉の奥方様、、、そうどすな。きっとバズリますえ(笑)