Zero Ground/Ariake Sea Zero Ground Ariake Sea Uto 2016 Yoshiro Shinkawa Self made French Landscape type lens 120mm Film size 4×5 Film scan with DSLR 海抜0メートル付近から見る有明海シリーズを2016年に撮影。 写真歴史の黎明期である1839年に生まれたダゲレオタイプ撮影時に使われたレンズ構成を研究し、当時フレンチランドスケープレンズと呼ばれた2枚構成のダブレットレンズを現代の既存のレンズから探し分解した。その後新しい鏡胴に組み込んだシャッター付きレンズを作成する。 周辺が暗いのはイメージサークルが狭いのではなく、絞りのケラレになる。初期の写真はレンズの前に絞りを設定したのでこの様なケラレが発生する。 さて、入力であるレンズ、出力である印画紙をオリジナルで制作するのは、オリジナル性を極めた手法である。当時この実験を行っていた。レンズは2本開発。 残りは出力である印画紙であるが、紙である支持体からセラミックを支持体にした印画媒体でサイアノタイプの研究を行う。 この様なアプローチが私の手法である。すべてを1から考え構築し作り上げる。とてつもない時間はかかるが、まぎれもなく誰も真似できないオリジナル技法。そしてこれが私が選んだセンスである。 作品は1975年、 New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape 人の力で変化した風景、新しい地形学から脈々と現代にも続く写真表現であるが、私もその系統にある。しかし即物的な手法は飽きを生じるのも事実。写真表現の審美性を加味した作品。 きゅ
このまま進めていけば圃場開拓に明け暮れていたであろう。その行動に神がストップをかけた。と仮説。 なんでもそうだが、今回の大学院の選択でさえ自分で探して希望したものではない。奈良に行って写真家の友人と話しているうちにそういう選択もあるのだと教えてくれたのが始まりだ。決断は自分でするものだが、情報がなければ決断できるものではない。 私は日々、小さな出来事や小さな変化、そして気になる言葉をキャッチして記憶している。それがその時結びつかなくてもいずれ大事な変化の始まりである事を知っているからだ。ありふれた日常など実は実在しない。全ては自分に与えるメッセージである。ありふれてると感じてるのは自らの心が変化や感受性の受け入れを閉ざしているではからないかと考える。 10年目を迎えた農業。様々な実験をして環境負荷の少ない稲作の基本を作り上げたと思う。7町程の面積だが大規模無農薬栽培をする技術を確立したと自負している。農業会社の立ち上げに始まり稲作の無農薬栽培の立案は私であり、その後指導者として活動し普及させて来た。思う事は、写真しか知らない写真家でさえ、己の心に忠実に信念をもてば法人クラスの稲作圃場が出来たという事だ。当初は我々無農薬稲作に対する慣行栽培農家からの偏見や嫌がらせ、暴言が凄まじく大変な思いも幾度となくあった。 さて、農業の研究は一旦打ち切りとして違うアプローチを試みたい。農業について今思う事は基本的な技術は確立しているので、精神的に楽な農業をやってみたいと考えている。これには面白い言葉があるが、要は適当という言葉だ。実は適当と言うものは知ってるから適当に出来ることだ。知らないものが適当にやったら成立しない。 人はなにか目標を見失ったら生きる事さえ辛くなります。放棄する事は楽なようで実はそうでもありません。年齢も関係ありません。むしろ年齢を重ねる程、色々な事に挑戦していいかと思います。私の知る人、全ての方が有意義な人生を過ごされますように。 世界は自由です。そしてクリエイティブです。そのエネルギーの集合体が生命です。ポイントは否定しない事。やってみる事です。失敗して本当の情報と価値を知る事が出来ます。 Dear readers around the world, When people lose sight of their goals, eve...