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表紙 稲

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よく見るとわかるんですけど、稲の背丈が違います。 にこまると朝日の混植栽培の試験田。 にこまるは背が高い。 また、にこまるよりも奥手の朝日が同時期に出穂しています。不思議です。 混植栽培はやはり病気一つせず、今回は塩水選、種もみの温湯消毒もせず、木酢液でのいもち防除も必要ありませんでした。  これはブランド米指向の在り方を変える私のやり方。 単一品種圃場は病気になるのが当たり前だと考えてるし体感している。 本当に何もせずこんなに安心なお米を食べれるのが普通である事をもっと世に広め、実証したいですね。

疲れないよ

一年前から亜鉛系サプリを飲んでるせいか体の疲れが無い。 同年代に会うと口癖のように腰が痛いとか体がだるいと言う。 そんなのが全く無いんだよな。 精神的に参ったな、と言うのは心の力量が足りないので多々あるが、体が疲れて動かないとかは無縁な生活。 サプリって本当は大丈夫かな?と思う事もあるけど調子がいい時は飲まなかったり、量を減らして飲んだりと程々に付き合ってます。      

草刈り三昧

夏の草刈り。 でも朝は涼しくて清々しい。 毎朝夜明け前の夜景を眺めながらマミコーロードを走る。   ただ切るだけでは楽しくないので色々なタイプの刃を試している。 よく切れるお高いチップソーが一番いいけど、石に当たるともろいので出費がかさむ。 その点二枚刃の古典的な刃が最近のお気に入り。 何度でも研ぐことが出来るので長持ちする。 シュレッダーブレードも中々使いよい。 どちらもチップソーと違って粉砕するので切った後が綺麗だ。 甲佐は終わったが、私の圃場はこれから。 万次郎かぼちゃ畑が物凄い事になっている!

米粉100%のお好み焼き

上さんが作った米粉100%のお好み焼き。 え? しかし、違和感ないというか、美味しい! 私は大阪に居たのでお好み焼きにはうるさいが、これは有りだな。

出来るね

現在4町を一人で管理。 大変といえば大変だけど、1日の内、半日で出来てしまう。暑いからしないけど。 これは専業で取り組めばそう広くもない面積だなと体で感じている。 私は、将来2町の田んぼと1町の畑で暮らそうと考えている。 収入面でも十分である。 法人の甲佐圃場を大規模化する事も大事だが私の圃場を充実させた方が安定しそうだ。 3町の面積なら十分に写真への時間を確保できる。 その方が早いな。 甲佐圃場はいずれ託す形になるだろう。 私は広大な無農薬圃場が出来ればそれで良い。 面白くなって来た。

アロエ

日差しが強い中での作業。 今朝も6反の麦圃場の畔の草刈り。 暑いというより肌が痛い。   玄関にキダチアロエを鉢で育ててる。 皮をむいて肌につけると焼けた肌にはピリッとするが気持ちいい。 生のアロエは市販のアロエベラジェルとは違い、乾いてもベタつきがないので心地いい。

農業指導員

甲佐の圃場に麦栽培のための農業指導員が来た。 私も興味津々で話を伺った。 無論彼らは私たちが無農薬有機栽培である事を知っている。 開口一番、電気柵を見て、草が伸びない様にする薬があるんですよ。 これは農薬でないから無農薬の農家さんも使っています。 ?  これが農業現場の実態だ。 無農薬は農薬を使わない事、それは自然の成長を尊重して育て、環境に不自然なケミカルを使用しない事というのは初心も初心の在り方だけど。 それに薬が農薬でないなら非農耕地用なので逆に絶対に使ってはいけないはずだ。   指導員も生産者も商品の情報や知識を学ぶ前にオーガニックの基本やコンセプトを勉強してほしい。 ましてやオーガニックよりももっと厳しい基準で農薬不使用を実践している私達の存在も知って理解していただきたい。 その後も頓珍漢な指導は続いた。

最後の課題

それは不耕起。 世界では Regenerative Agricultureと呼ばれる新しい動き。 日本では自然農法がそれにあたり不耕起はその根幹でもある。 私には理論でわかっても実行できない。 つまりまだ理解出来ていない世界だ。 環境保全ではなく環境再生に位置づけられる。  田んぼの不耕起という世界もあるが、田んぼは工業型農業と言われる近代農業以前から耕起されて来た。 さて、来年一枚の田んぼで試して見ようか。  

多様性のバランスと稲作

市民農園の田んぼは凄い。 オーガニック、JAS認証基準よりもさらに何も使わない農薬、肥料不使用を実践している。 そして耕起しない自然農法より遥かに収穫量がある。 恐らく今年は慣行栽培とさほど変わらない収穫量だ。 一年目の作り手さえ立派な稲を生産できている点だ。 今年ここでは湛水直播を試験した。 圃場内の草取りもあったが、ある程度影響のない下草も生えている。 スクミリンゴガイもいないので多様な生物も観察できる。 私の知る昭和期の田んぼに一番近い理想的な田んぼの姿だ。  この様な多様性のバランスを重視した栽培が食の安全と生産性、経済性を両立する事が出来る。 市民農園は自分で食べる米は自分で作ろう、というコンセプトだが、仕事にしている私は、公正な価格を実現できる流通を作る事にチャレンジしている。 多様性とは圃場の自然環境や安全な栽培方だけではない、高すぎる米や、安すぎる米ではなく生産者も消費者も公正な価格で流通出来る事がなければ正常な経済が動かない。 経済が動かない農業では生産者はいなくなる。 生産から販売、消費者の健康全てがバランスよく回り、地球という環境が急変しない穏やかな変化を迎えるという事が農業から始まる多様性の真の目的だ。    

次世代に

8年前に環境保全を目標にした1反の田んぼから始めた農薬不使用の米栽培。 その後冬期湛水や施肥をしない栽培を始め色々な実験をしてきた。 圃場面積も今では田んぼは4町に広がる。 8年前に描いた夢は実に40倍近くの面積に広がった。 これは一つの実績だと言える。   今後は経営するという事。それには公正な収益が伴う事がポイントだ。 今年から1町の米栽培でどこまで収入を上げるかを考え取り組み始めた。 むやみに大規模化しても収益は少ないという事例をよく聞く。  次の目標は稲作の農業経営が安全な食品、環境にも負荷のなく、経済的にも魅力的だと次世代に伝えられるほどに成り立つ事だ。

冷製 米粉と鯖、夏野菜の甘酢和え

暑い夏、なんて暑さ! 鯖の切り身を醤油とお酢と大蒜で下味つけて、米粉をまぶして米油で揚げる。 椎茸を揚げる。 ピーマンとオクラは少しの塩とお湯でさっと茹でる。 生姜と人参は生の千切り。 ボールに入れて、リンゴ酢、味醂、醤油。 冷蔵庫でしばらく冷やしてから頂きます。

足るを知る

足るを知るの意味は、あまり欲を持たないで、ある状態で満足する。 我慢や抑制などを感じてしまい夢がないなと常々思っていた。 語源である老子の言葉には富が付く。   知足者富 足るを知る者は富む  満足する事を知っている者が本当に豊かな人である。   そして本来の文は以下。 知足者富、強行者有志。 満足する事を知っている者が本当に豊かな人で、努力を続ける者は志が遂げられる。  

関係

私は仕事が速いのでさっさと一人でやってしまう事が多い。 でもそれってどうなのかな。 関係性を断っている事にもなりかねない。  問題多き1haの圃場も4日程で片付けた。 でも思ったな。 これでいいのだろうかと。 今日は相方と圃場を見ながら今後の事を話し合う。 そうなんだよな。 話し合いが一番大切。 小さなことでも互いに確認し合わないとそれが一歩であるという実感が伴わない。 いや。それ以上にそれは何もなかった事になる。

カゲロウ

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稲に向き合う日々 田んぼに住む生物や稲の成長を観察している。 生物の多様性は慣行栽培の田んぼよりも維持しているが、私の知る昭和期の田んぼに比べるとまだ見かけない種もある。スクミリンゴガイ〈ジャンボタニシ〉のシェアが圧倒的に多い。 この田んぼにはまだスクミリンゴガイがいない。 蜘蛛の巣に多くのカゲロウがかかっていた。 そういえばスクミリンゴガイのいる田んぼではカゲロウをあまり見かけない。 スクミリンゴガイによって草ひとつ生えない田んぼ他の生物にとって砂漠化したと同じなのかもしれない。

I Made a Lens with an Iceberg

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表紙 一年目の乾田直播

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  手蒔き散播  いつも私の稲はざわざわしてるけど、今年はいつも以上にざわざわしてる。

販路あるから作付け出来る

意外な程売れる物産館が一つある。 私の農薬肥料不使用の米は1kg500円の販売価格であるが、他の直播農家の慣行栽培米も同じくらいか少し高い。その為か売り場ではよく売れる。 以前小分けせずに委託して売っていた頃1kg400円で卸した米が800円程の値段が付いていた店があったが販売量はわずかであった。  慣行栽培農家が直播せず農協に出すなら昨年は60kg1万800円程であった。実に1kg180円と言う価格だ。これでは小面積の農家の経営は成り立たない。  1ha規模の小さな私の圃場では直取引の個人の方や直販店での販売がいい。 現在は一年以内で在庫は無くなるが、後1haは増やしたいのでより多くの販路がこれから必要になる。

Jean-Jacques Rousseau

ルソーは言った。 生きてることは呼吸する事ではなく行動する事だと。   日記のつもりで記してるブログ。 2年間ログインしなければ消えるそうだ。 これは有って無い世界だな。 デジタル世界とはそういうものだ。  消えて行く写真データも何年も前から私のパソコン内で現れている。 画像が画像ではないトッドに変化したり、サムネイルだけが表示され本画像は再現されない事になる。 記録を目的とするなら撮影そのものが無駄だと感じる。 これって写真にとっては致命的である。   それにしても暑い日が続く。 最近運転しながら思う事は、印画紙に画像を定着させる事を選んだ方が遥かに私にとって意味があるなと。 2017年以降、私は実体のない世界で呼吸をしているだけだなんだろう。