写真は、時間を止めない 理解しやすく!

写真は、時間を止めない

二枚の写真がある。同じ場所で、少し時間をずらして撮った二枚。

見比べてみると、何かが違う。でも何が違うのか、はっきりとは言えない。木の影が少し動いている? 光の角度が変わっている?いや、そういうことじゃない。

測れない何かが、ずれている。

僕が言う微小位相差とは、測定可能な差ではなく、関わりの中でしか立ち現れない時間のずれだ。

時間は、一本の線のように流れているんじゃない。過去と現在と未来は、きれいに分かれているんじゃない。微かにずれながら、重なり合っている。

その重なりを、写真は見せる。

写真家は、世界を記録する人だと思われている。でも違う。写真家は、世界に関わる人だ。

僕は十年以上、無農薬で米を作っている。田んぼに入って、草を抜いて、虫を観察して、稲を育てる。そしてその過程を、撮る。

撮ることで、見えてくるものがある。見えたものが、次の行動を変える。写真は記録じゃない。実践だ。

AIが画像を作る時代になった。「それは写真じゃない」と言う人がいる。

でも僕は思う。大事なのは、光で撮ったかどうかじゃない。大事なのは、何を意図したか、だ。

誰が、なぜ、その画像を作ったのか。それが見える限り、対話ができる。それが隠される時、画像は嘘になる。

写真は、過去を固定しない。写真は、時間が重なり合っていることを、見せる。

世界は、一つじゃない。いくつもの位相が、同時に存在している。

僕は、それを撮りたい。そして、理解してもらいたい。

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