投稿

8月, 2019の投稿を表示しています

この夏

イメージ

長雨

今、稲穂は花が咲き始めこれから登熟を始めるというのに雨が降り続く。 恐らく今年は不作になる。 稲株の成長も遅植えのため数も丈も少ない。 今後晴れてくれるなら味はよくなるが、せめてもの期待はそれだけだろうか。 私は生まれてこのかたこの時期に梅雨のような経験はない。 秋の長雨は西日本にはなく、関東以北の事だからだ。 彼岸花が咲き始めて来た。 記憶では朝晩が涼しくなるが、昼は晴天の様を思い浮かべる。 天候に左右されるのは農家だけでなく、カメラマンもしかり。 私はずっと天気に左右されて来たが、それを悲観したことはなく寧ろ又とない機会と捉える訓練をして来た。 悲観するより見落としを確認して次の行動に移す作業を始めよう。

繋ぐ

大きなイメージでは圃場は常に作物が育っている環境を考えている。 大枠は米作やカボチャの畑の後には大麦のファッロがあるという姿。 規模も大きくなり、ファッロに至っては2町の圃場を全て使い切る事になる。 問題は麦に関してのインフラがこの村にはないことだ。 なのでコンバインから乾燥まで機械を揃える必要がある。 またファッロの売り先も恐らく6000kgの売り先がまだ未定だという事。 これは現実的には、ぼちぼちやるしかない。 今日、雨の合間にファッロの夏播きを1反行う。 昨年手のひらに余るほどの種からようやくここまで来たかと思いながら播種作業を行なった。 今年最大の興味は在来種糯米の様子。 ファッロにしろこの糯米にしろ凄まじい長さの時間と遺伝子の様を見て取れ感慨深い。 私は繋ぐ一人でしかないがこうして尚又この後も続いて行くのだろう。 しかし人が一旦辞めたらもうこの種子は消えると思うと、手にした責任だろうか、続けて行くしかないし誰かに分けることが大切であろう。 この種子もある人から1kg程分けてもらったものだ。 しかし彼は今年更新しなかった。 そういう事だ。 永遠に種を繋ぐ事は本当に奇跡なほど難しい。

ファッロ 夏播きの準備

イメージ
8月中に夏播きをし、年内の収穫を試す。 九州では冬播きして梅雨時に収穫するよりいいのではないかと期待する。 今後の作付けは当面、米、かぼちゃをメインにトマトとこの大麦ファッロを生産して流通を開拓していく方針だ。 農業を始め3年になる。 カメラマンほど利益の出る仕事ではない。 しかし利益を確保することは何の仕事でも大事だ。 米の作付け面積は来年また1反増やす。 かぼちゃは1町に拡大し、二期作をする。 しかし何処までも拡大できる訳ではない。 もうこの辺りで収益を確保する農業技術を導入するしかないと常々感じる。

糯の出穂期

イメージ
出穂期を14日に迎えた在来種の野稲 この田んぼは父から与えられた最初の田んぼであり新しい事を試すときは丁度1反の面積があるのでこの田んぼを使う。 水稲として育てられたこの野稲のもちの味は美味しそうだ。 少量ならお分け出来ると思います。 収穫は9月の半ば過ぎ。

もう一つの考え

思うに。 私の理想とする世界は今後存在しない。 としよう。 ならば。 私は閉口するしかないが、物質の崩壊するスピードは相当に早まる。 ただ、それだけだ。 私はどうしたらいいのか。

現在の考え

私は無農薬であるが、噴霧器を片手に木酢液やリンゴ酢などを撒いていると農薬を撒いていると勘違いされる。 聞かれれば答えられるが多くは見ながら通り越して行くので農薬と思うだろう。 はてそれはそれとして、いくつか思うことがある。 いろんな農法はあるが、農業の第一命題は食料の提供である。 日本に於いては平成30年で農業人口175.3万人、平均年齢66.6歳とある。 人口は2017年で1.268億人である。 食料自給率は66%なので単純計算では1.268億人÷1750.3万人×66.6%=48.2 農家はおよそ一人当たり50人分の食料を生産しなくてはいけないということになる。 私の知る限り自然農法では優秀な方達以外、不可能だろう。 かと言って慣行農法であり続ける事は環境や人への影響は決して良くは無い事はわかっている。 結論を言えばバランスだと私は最近よく思う。 どちらの立場でも構わないから負荷を掛け過ぎない農業が今後の進むべき道だろう。 農業の事を私は深くは考えたくはないが、それも避けられそうにない。 以前からの考えだが、農法などに囚われる必要はない。 日々そう考えている。