不二子はん読んでくなはれ。へー化け学はさっぱりですわ。。 57話
タイトル
写真の歴史の盲点
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ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce 、1765年3月7日 - 1833年7月5日)は、1822年に「用意された食卓」を撮影し画像を定着させた世界初の写真である。「ル・グラの窓からの眺め」(1826年か1827年ごろ)を撮影。感光材料が重要なので工程のみ一部転用。
彼は腐食防止用に使うアスファルトの一種でパレスチナ原産の「ユダヤの土瀝青」(どれきせい、ビチューメン)が、光に当てると硬くなって油に溶けなくなる性質(→フォトレジスト)を利用しようとした。まずは版画の制作を行った。磨いたシロメ(白鑞)の板に瀝青を塗ってこの上に紙に描いた絵画(ニスを塗って紙を半透明にしたもの)を置き、太陽に当てると、絵の線の部分はよく光が当たらず瀝青が固まらないままになる[8]。この板をラベンダー油(ラベンダーの精油)で洗うと、光が当たって硬くなった瀝青は残り、線の下にあって固まらなかった瀝青が洗い流され、結果として板に溝が残る[9]。ここにインクを入れて印刷原版にするというアイデアだった。ニエプスは自分の技術を「太陽で描く」という意味の「ヘリオグラフィ(héliographie)」と呼んでいた。
その後ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre, 1787年11月18日 - 1851年7月10日)と組み研究、1833年にはニエプスは没するが、ダゲールは1839年には写真史上もっとも鮮明だが1点もの左右逆像のダゲレオタイプを開発する。その後ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(William Henry Fox Talbot、1800年2月11日 - 1877年)が1841年ポジネガ法により複製を可能としダゲレオタイプより高感度なカロタイプを完成。
以降、写真の歴史はサイアノタイプ、銀塩写真のコロディオン法、ソルトプリント、アルビュメンプリント、市販フィルムの開発、そしてデジタル写真へと変化し感度の増大やカメラ機材の小型化に伴い、各時代の写真家のアプローチは変化していく。
私はこれらの経緯をみてやはり写真は生まれて200年余りという歴史の短さを感じている。私の言う盲点とは、写真家の写真の変化よりも感光材料の未成熟さに疑問を感じている。それは私が写真家であるあるから痛感する事であるが、写真は保存性をまったく無視した所から開発されてきたと言える。私の言う写真保存期間は50年や100年ではない。200年でも500年でも変化しない画像耐性である。写真よりもはるか昔から永年開発されてきた油絵や日本画などの世界は数百年は劣化しない技術が既に出来ている。よって写真の歴史の盲点は保存性の欠落である。今後、写真はデジタル写真という炭素化されないデータの写真と炭素化されたケミカルフォトグラフィーの発展再構築に進む。私からみればアクリル絵の具を使うのか、油絵具なのか。アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917年7月12日 - 2009年1月16日)のようにアメリカでは廃っていたテンペラ画法を独自で研究して復活させ、大作を作るに至った様に古典を再構築するかだ。
新しい写真の出現には新しい高感度感光材料やその小型化、カメラサイズの小型化が生まれたから写真を撮る層が変わり写真が変化した。
デジタルは特に顕著だ。誰でも写せるカメラが出来たから皆が撮影し表現が多様化された。写真黎明期の写真家とは科学者であった。その後伊藤教授が言う様、持ち運べるカメラが登場するとブルジョアジーが冒険家のように未知の映像を撮るようになると商業写真家が生まれる。アマチュア写真家が生まれる。小型化されたカメラでスナップフォト、戦場写真家、オートマチックカメラが開発されるとさらに写真を撮る層が増え家族写真の普及も当たり前になる。当然写真歴史において目的が違うという前提と嗜好性の違いが生じその時代その時代の作品や作風が生まれる。写真やカメラの進歩は写真家個人の能力よりも大きな前提条件である。
私は写真の歴史で唯一敬愛し尊敬している写真家はジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget、 1857年2月12日 - 1927年8月4日)ただ一人である。彼の写真は写真の全てが写っている。あくまで個人的な嗜好ですが。アルビュメンプリントと大型カメラを使ったフランスの写真家は職業写真家である。当時の画家から絵画用の下書きとして依頼を受けてその場所を撮影し、賃金をもらって生活した。結果まだ華やかな様式のベルエポック時代のパリが写されたのだった。イメージサークルの狭いレンズなのか、当時のカメラのメカニズムを考えるとレンズの前に絞りやシャッターがあるのでそのケラレであろうが、ノスタルジックさも演出している。大判カメラを当時使う者は殆んど居なかったらしく、絞り込んで長時間露光するアッジェの姿は奇異に見られていたという。職業を転々と変わって来た経緯や、古いアパートメントに住んでいた写真から読み取ると、一般的に幸せな家庭をもった生活とは思えない。それらいろんな条件が、彼の写真に写しこまれている。孤高な、静謐な。意識せず写してしまった写真家。
写真の盲点と言った保存性の欠落。これがより発展しなければ、一生を費やした写真が僅か数か月で劣化して画像が喪失する。つまり行為が無になります。ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス「用意された食卓」「ル・グラの窓からの眺め」のように薄ぼやけた画像か消失が余儀ない写真。
今後の写真の発展はこれまでは感光材料の進化やカメラの小型化で生まれてきたと言えますが、今後は発展のひとつのワードとして感光材料の熟成化というテーマは非常に重要であると考えます。
鉄の反応で出来る物質は顔料であるはずのサイアノタイプは塩化銀よりも耐久性が高いと言われてますが、私の経験では顔料であるにも関わらず光での劣化はとても早く野外で紫外線を浴びると数十日で消えていきます。このように古典技法の多くはバインダーも無く紙に塗っただけのものです。支持体もダゲレオタイプ以外多くは紙です。日本の様に生物劣化が激しい国では、感光膜の保存性もありますが、支持体の研究も大切です。
さて課題に入りますが、私は感光材料の耐久性を向上させるために、絵画の技法を応用したいと考えています。例えば顔料を形成するサイアノタイプの感光液にガゼイン、膠、卵黄、卵白、ポピーオイルなどを個別に添加し実験。塩化銀がむき出しのソルトプリントでも応用。アルビュメンプリントは支持体の上に卵白を塗布しただけなので劣化が激しい。その改良などをテーマに研究したいと考えています。
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