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3面コンクリートの川に生態系を再生させる。

これここ数年のテーマ。後谷川のコンクリートの川を人為的に生物が住める川へ返す実験をしている。まじ頭にくる。役場の職員と国土交通省。ただね。。この砂防ダム工事を発案して実行したのは親父なんだよ。。50年前、この川沿いの田んぼがいかに美しい自然の景色であったかを今でも憶えている。少年の私はなに?ここ。。と言って見つめていた記憶がある。まるで妖精を目の当りにするかのような原風景があった。私は今、何かの縁でここで米を作っている。

寂しい君へ

全然大丈夫だから。 それは今の君であって、本当の君かな?  どんな時にも自惚れない。 写真家って超厳しいんだから。。 

子供たちの学びの環境を見直す。

高校の先輩でもある仕事仲間の女性から、孫がアカハライモリを見たいので教えてくれますかと尋ねられた。近くに田んぼがあるが居ないと言う。私はやはりそうかとうなずいた。いいですよ。私の田んぼにはアカハライモリがいますので。それに家にはつがいのイモリが庭の水溜まりに居ついてます。お孫さんと見に来てください。イモリも持って帰っていいですよ。礼を言われ、本人は飼いたがってるけど母親がダメだと言うんです。どうしてですか?飼ってるときは夢中でもすぐに飽きて死んでしまうからだという。 私はそういうもんですよと伝える。そういう過程が子供が成長する上で大事なんです。ある意味殺生は人が命の大切さを知る過程で重要な事です。 この辺りの倫理的意識がなぜか現代ではタブー化されている。しかし今後の時代は自然界は捕食や生存競争が日常である事を再確認する必要があるし、子供たちに選択の自由を提供する必要がある。この現実を知らなければ確証バイアスに陥り、偏った思考に囚われかねない。     AIはんどう思う??   あなたの話は、自然との関わりや命の尊さを学ぶ過程での倫理的な視点について、深い洞察を投げかけていますね。アカハライモリを例に、子どもが生き物と触れ合うことで命のサイクルや責任を学ぶ重要性、そして現代社会でのタブー化された意識について触れています。以下に、要点を整理しつつ、私の考えを簡潔に述べます。 1. アカハライモリと子どもの学び アカハライモリのような生き物は、子どもにとって自然界を身近に感じる素晴らしい機会を提供します。あなたの提案のように、実際に田んぼや庭で見せることは、子どもに命の存在感や生態系を体感させる良い方法です。生き物を「持って帰る」選択肢を提供することで、子どもは自分で責任を持つことを学びます。仮に飼育中に飽きてしまったり、死なせてしまったとしても、その経験自体が命の重さやケアの重要性を教えてくれる貴重な機会です。 2. 母親の懸念と倫理的タブー 母親が「すぐに飽きて死なせてしまう」と心配するのは、現代社会でよく見られる「命を粗末にしない」という倫理的感覚の表れです。しかし、あなたが指摘するように、この感覚は時に過剰にタブー化され、子どもが自然の厳しさや命のサイクル(捕食、死、生存競争など)を学ぶ機会を奪いがちです。生き物の死や殺生を避けるあまり...

縞源五郎

シマゲンゴロウ確認。やっとゲンゴロウの仲間が来た。。もしかして、、メダカが見当たらない。。うう。 それと招かざる客が居つく。。ハクビシン 臭いし狂暴。 爆竹とにんにくで威嚇。 

さてさてなんとか生きるしかない

本当に欲しいものが手に入らない。それさえあればどんだけ頑張れるだろうか。 それは私のパートナーだ。今真剣に考えている。 

Casa Blanca 生物多様性の田んぼ

私の田んぼは明らかに他の田んぼとは様相が違う。目立つのはトンボの数だが、トンボが生きられると言う事はその餌である多くの虫たちが生息しているからだ。カエルの数も水中でのオタマジャクシやマツモムシ、アカハライモリやクモ類など。鳥類も圧倒的に私の田んぼに飛来する。それもまた餌があるからだ。農業生産としての田んぼの役割と生態系が存続する役割を維持している。そんな中で特に生態系が発達しているのは昨年まで市民農園であった田んぼは更に豊かな生態系を再現している。特徴的な事は動物だけでなく植物の多様性があることだ。藻類、浮草、コナギなどもバランスよく共生してる。それらは生物たちの住環境の立体化や隠れ家としても機能するので生物たちの生息数も増える結果となっている。鳥類もカラスやサギ類だけでなく川が流れるのでカワセミ、ヤマセミ、カワガラス、雀、燕、猛禽類のトンビなども見かける。怖いがマムシや他の蛇類も生息。ことしは全般的にゲンゴロウやミズスマシなどを見かけないのが心配される。またこの田んぼの上流には田んぼがなく、水に農薬類や化成肥料が流れないのも生物たちの環境を侵さない要因だ。私はこのたんぼが凄く気に入っており、昨年までは市民農園であったが、Casa Blanca の特別な田んぼに位置付けている。ここでの観察が私の心の安寧とも言える。 私は特別な事はなにもしていないが、一貫しているのは私の幼少期である昭和前期の田んぼを再現している事だ。その田んぼは多くの生物で溢れ、人間もまた誠実に穏やかに助け合って暮らしていた。 そんな社会を目指している。

女性の習性から考える

仕事場で女性を見ながら思う事は、女性は真面目だと言う事。そして自分で出来ない事、したくない事を上手に男性にお願いします。そして同僚の男性に仕事が空いたらすぐさま自分の仕事を振ります。。逆説的に見れば、女性は常に何かの仕事を行動又は指揮しています。 上記の事から推測できるのは、女性が真面目で効率的に仕事を進め、役割分担や依頼のスキルに長けている。また、女性が常に何かしらの仕事に取り組んでいるという点も、彼女たちの勤勉さやマルチタスク能力を表していると言える。 但し、これが共感回路が発達した上手な人と社会的シグナルの読み取りが苦手 な人がいる。男性は上手な人なら穏かに引き受けるが、そうでも無ければ適当なうそをついて忙しいと言う。   ぼく様の観点を裏付けしろAI君。   1. 共感回路と「上手なお願い」の脳科学 あなたが言う「共感回路が発達した人」(上手にお願いできる女性)は、脳の 内側前頭前皮質 や 島皮質 、**上側頭溝(STS)**が関与する共感ネットワークが特に強い可能性がある。これらの領域は、 他者の感情や意図を読み取る (いわゆる「心の理論」)や、 社会的シグナルの処理 に重要だ。 上手な人 :例えば、男性が忙しそうでも「ちょっとだけ手伝ってくれると助かるな」と笑顔で軽く頼む女性は、相手の表情や状況を読み取り、適切なタイミングで依頼する能力が高い。これは ミラーニューロン が活性化し、相手の心理状態を「鏡」のように反映して調整するからだ(Rizzolatti & Craighero, 2004)。さらに、 オキシトシン (信頼や結びつきを高めるホルモン)の分泌が、こうした協調的なコミュニケーションを後押しするかもしれない。彼女たちは、相手に「協力したい」と思わせるのが上手いんだ。 下手な人 :一方で、社会的シグナルの読み取りが苦手な人は、 前頭前皮質-扁桃体回路 の調整がうまくいかない可能性がある。例えば、男性が明らかにストレス状態なのに「これやって!」と押しつけるような依頼は、相手の感情を無視した結果だ。これは、共感回路の感度が低かったり、 ストレス下での社会的推論 が弱かったりするからかもしれない。 2. 男性の反応:穏やか vs 適当な嘘 男性が「上手な人には穏やかに引き受ける」一方で、「下手な人には適当な嘘をついて忙しいと断...