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スーザン・ソンタグの言う限界とは

スーザン・ソンタグが『写真論』で述べる写真の限界とは、主に以下の点が含まれます: 現実の断片化 : 写真は瞬間を切り取るため、全体像を伝えることが難しく、断片的な理解しか提供しない。 感情の麻痺 : 苦痛や戦争の写真の過剰な露出が、観察者の共感を減らし、冷淡さや無関心を招く可能性。 倫理的問題 : 他者の苦しみを消費する行為としての写真が、被写体への敬意や責任を欠く場合がある。 解釈の曖昧さ : 写真は文脈を十分に伝えないため、観察者の主観的解釈に依存し、真実を歪めるリスクがある。 これらは、写真の力と同時にその限界を示し、視覚文化への批判的視点を提供しています。

右か左か、

選択の判断は棒っ切れとか少年時代やった記憶がある。コインも映画で見てカッコイイと思いやったこともある。でももう一つ憶えたのが、煙に巻く。忘れたふりをする。だ。右も左もそう変わらないと思ったときにね。今もそうかな。どちらでもいい。だけど他はないんだと言う時がある。 20代はすごく素直であった。30代は人が薦める方の反対を選択していた。40代は人の話さえ聞かず両方選択してみた。50代はやってみて分からなければ徹底的に調べつくし判断と実験を繰り返した。60代はどうだろう。また煙に巻こうかと考えている。もう他人様とは相談できるレベルではない。棒っ切れの方が余程確率は高いだろう。

Calvin Harris, Clementine Douglas - Blessings (Cassian Remix - Official ...

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  悩むなら良い事を悩んだがいいよ。ぼく様はつくづくあほーな事ばかり悩んでますが、他人様に言えば失笑でしょう。。しあわせかも。。だってあの子とあの子とあの子とあの子はいいなぁなんて悩んでるんですよ。阿保でしょ。。。。。笑うが勝ち也。ぼく様のばあい、どうせ実現しない統計がありまする。。

畔をあるくとぴょんぴょん也

田んぼを見ていた。あれ?おたまじゃくしがいないな。あ、いることはいるか。。でも少ないな。一歩畔を歩いた。。無数の小さな蛙たちが草の中ら次から次と跳ねだして田んぼの中へ飛び込んだ。かわいいやつらだ。上空を見上げるとトンボの群れ。彼らはわたしのような田んぼにしか数多く居ないのはお分かりだろうか?

到達点の先を考える

大学院だけでは物足りなく感じる。作家性を打ち出すためには、具体的な計画と行動が必要だ。 やはり環境としては、京都に住むのが良いと思う。 さまざまな問題はあるが、じっくり考えてみたい。 私にとって環境を変えることは、創造性や成長に欠かせない最も合理的かつ迅速な方法だ。 バイトの契約が終わる2年後には京都への移住を確定させたいが、現在の京都にその価値があるのか、たまには行って確かめてみたい。 しかし、ここで環境共生を考えた圃場作りと、そこで生きる生物を観察することは、都会生活よりもはるかに面白く、すでに私の作家性を形作っている。 収入については、具体的には米作りを現在の1町から2町に増やせば良い。そうすれば、拘束時間のあるバイトも必要なくなる。 冬は京都に住み、夏はここで環境共生米作りに取り組む二重生活も良い。 以前住んだことのある京都だが、昔の京都だけでは得られるものが少ない。私にとってパッションのある街ではなかった。それでも、文化的には此処より優れている。 時間さえ作れば、どこにでも行ける。そういう私自身の環境設定をこの2年間で整えよう。  

Calvin Harris, Clementine Douglas - Blessings (Max Styler Remix - Offici...

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  こっちがノリがいい。もうれんあいわすれるかw 

うめの味2

 やっぱり違うな。もう少し。ということで5日目。。でもあれですね。土用は夕立もなく、蒼天也。さいこー。

うめの味

うーんちょっと違うな。日光の香りがない。素直すぎる。ってことで今日まで干すことに。4日目也。 追記 梅干しは仮に20%以上の塩を使っても梅自体が塩を受け入れる飽和濃度18%が限界らしい。ってことは20%や30%の塩でも18%の塩分濃度の梅干しが出来るんだろうな。。 お婆ちゃんが計量器使わず塩梅で塩入れてたけど、それはどう見ても均一とは思えなかった。それでも同じ味ってことは梅の飽和濃度だったんだ。よく思いついたなぼく様。えらい。あ、ちなみに梅酢はちゃんと20%30%の塩分濃度になりますので。。

儚い

自分で目標を達成するのはたやすいことだ。私には造作もない。しかし、誰かに愛されること―それはまさに儚い夢のようなものだ。

炎天下のうめ

日差しが強い。これが土用の晴天。梅雨明けのしめった晴れとは違う。梅干しもあっという間に乾燥。程よい状態になりました。ことしはこれでいいかな。ドライな白梅干しはこれで完成。ウエットな白梅干しは明日の朝露に打たせて梅酢に戻せば完了。

朝露の梅

梅干しは今日で3日目。しかし私は7日ほど天日に干します。さて撮影しようと久しくデジタルカメラを手にするが、バッテリーがあと少し、充電器はどこだっけ。カードもない。はてどこだっけ。。めんどいのでカメラを放って田んぼに向かう。フィルムカメラのライカは常に手元にあるが、こいつはフィルムさえ入れとけばいつでも撮影可能だ。電気仕掛けのカメラはめんどいめんどい。さてと今日もお仕事。結構楽しいです。かつて空港の清掃で仰天の美観をキープしていた私。当時清掃業界でも注目されてました。清掃スキルはかなり高い私。その上写真家なのでよく見えます。今回もホテルの支配人やトップの部長さん、料理人、フロントスタッフからも一目置かれる存在に成長。時給もちょこっと上がりました。

メダカは生きていた。

こうして時は過ぎる。論文も書き終える。なぜか虚しい。夕暮れは美しかったが。thinking about you..私はあなたのことを考えている。

カメラオブスキュラと写真の歴史:古典文化と再生

カメラオブスキュラと写真の歴史:古典文化と再生 カメラオブスキュラと写真技術の発展は、視覚表現の進化を超え、文化や社会に深い影響を与えてきた。本稿では、カメラオブスキュラの起源から写真の誕生、そして現代におけるその再生までを「古典文化と再生」というテーマで考察する。このテーマは、古代の光学知識が現代のデジタル技術に至るまで継承され、繰り返し再生されてきた過程を強調する。 1. カメラオブスキュラの古典的起源 カメラオブスキュラ(Camera Obscura、暗い部屋の意)は、光が小さな穴を通って逆さまの像を投影する光学装置であり、その原理は古代にまで遡る。この装置は、芸術と科学の交差点で視覚文化の礎を築いた。 古代中国(紀元前5世紀~4世紀) 哲学者・墨子(紀元前470年頃~紀元前391年頃)またはその学派が、光が小さな穴を通って逆像を投影する現象を記述した。これはカメラオブスキュラの原理の最古の記録とされる(参考:Needham, Joseph. Science and Civilisation in China , Vol. 4, 1962)。この発見は、視覚現象の科学的理解の端緒となった。 ルネサンス期(15世紀~16世紀) レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)は、カメラオブスキュラをスケッチや観察に活用し、その光学原理を詳細に記述した(参考: Codex Atlanticus )。彼は、遠近法や解剖学的研究にこの装置を用い、芸術と科学の融合を体現した。また、天文学者ヨハネス・ケプラー(1571年~1630年)も、カメラオブスキュラを天文観測に使用し、光学理論の発展に寄与した。この時期、画家たちは遠近法の正確な描写のためにカメラオブスキュラを補助的に用いた可能性が高い(参考:Hockney, David. Secret Knowledge , 2001)。 17世紀~18世紀の普及 画家カナレット(1697年~1768年)のようなヴェネツィアの風景画家は、カメラオブスキュラを用いた確かな証拠はないものの、当時の画家たちがこの装置を補助的に使用していた可能性は高い(参考:Kemp, Martin. The Science of Art , 1990)。カメラオブスキュラは携帯可能な小型モデルから大型の部屋型まで多様な形態で製作され、画家だけでなく科...