門出は新川が作った。

新川儀一郎

新川 儀一郎(写真右)

新川家の秀才である明治時代に一橋大学に入学し三井物産に入り、東京から長崎に赴任し、不二子夫人(写真左)を娶り、フィリピンにて現在のマニラ近くに渡り 賑やかな都市を作るが敗戦し、現地で戦死した。新川 儀一郎お爺さん。
彼曰く、それを代々受け継いで聞いていた父、哲男が語るには私の住む門出は新川が作ったと言う。
500年前に大阪から、平家であるがゆえ九州に逃れこの地にたどり着いた。その後室町時代1509年に、この地域にも戦が多く荒れ果てた為、関西にはあるが九州では初めて発見された梵字六地蔵を、地域の衆数人と寄り合い、今もある梵字六地蔵を奉ったという。
私は門出を新川が作ったという事に興味をもった。
隣りの庄屋、矢野家も300年ほど前に細川氏から大分の大友宗麟の家系から呼ばれ赴くが、その土地も新川家から献上したと聞いたと父はいう。
本当に面白いと私は思ったが、それは既に感じていたのでそう驚きもしなかった。

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