釜炒り茶

父がこの頃お茶をよく欲しがる。
しかしこの茶はダメだと言って家中のお茶を飲んでは捨ててしまった。
何をしてるのか、何が欲しいのか、私は黙って見ていた。

私の家ではかつてお茶を生産していた。
広いお茶畑があった記憶がある。
釜炒り茶を生産していた。
庭先にて大釜で炒っていた時の、あの香ばしい香りも憶えている。

父の姿を見ながらそのことを思い出す。
そういえば当たり前だが父がその茶を作っていたんだ。

五ヶ瀬の釜炒り茶が美味しそうなので取り寄せた。

それ以降 父から先の言葉を耳にしなくなる。

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