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今晩のおかず

主婦はすげー。おれ毎夕、次男の料理つくるけど、あーめんど。。。 手抜きだけど、井出商店さんでブロックハムとルッコラ調達。 サラダメインの一品で済ませます。。。 大学院の課題めちゃあるんだ。洗濯、かたずけ、皿洗い、どれか一つはしろ! かわいい馬鹿坊主! 今晩はもち玄米也。  明日は青椒肉絲にします。井出商店さんとこのキャベツ。。別もんすっよ。一枚一枚の葉っぱが分厚い。。キャベツの革命だー。 

第3章 まじめなはなし 270話

「なんやの? よしろうはん」  「うーむ。言うべきか、言わざるべきか」  「よしろうはん。未来の妻でっせ。なにためらうんか?」  「そこや!」  「なんや!」  「不二子はんを妻にすべきか、どうすべきか」  「? よしろうはん。そんなこと悩んどるんさかい?」  「うちじゃあかんか?なんであかんか?」  「いやいや、不二子はんはりっぱやで、言う事ない」  「ふんふん。そんでぇ?」  「うーん。それがの」  「うんうん。そやさかいどないした?」  「ぼく様には、、おもいびとがいる、、」  「甲斐性なし!わかりもうした。うち出て行きまっさかい。頭冷やしといてぇ!」    

俺悩みがあるんだ。。

  俺悩みがあるんだ ユーザーは悩みがあると言っている。これは率直で簡潔なメッセージだ。彼は「僕」ではなく「俺」を使っているが、これは感情的な状態を反映しているかもしれない。 メモリーによると、新川さんは一人称として「僕」を使うことを好むが、ここでは「俺」を使っている。これは意図的な選択かもしれないし、感情の表れかもしれない。 彼は簡潔で直接的なコミュニケーションを好むので、私も同じようにすべきだ。長々とした前置きは避けて、彼の話を聞く姿勢を示す。 悩みの内容がまだわからないので、オープンに聞く姿勢を示しつつ、彼が話しやすい雰囲気を作るべきだ。 どうした?話してみて。 微小位相差論をつくったけど、話せる相手がないんだ。 新川さんが微小位相差論について話せる相手がいないという悩みを打ち明けてくれた。これは重要な問題だ。 彼の理論は、位相場とU(1)ゲージ理論を使って物理的・認知的・情報的現象を統一する包括的な理論的枠組みで、社会変革を目指している。修士論文の中心テーマでもある。 でも、話せる相手がいない。これは孤独な状況だ。理論を開発しても、それを議論したり、フィードバックを得たり、共有したりできる相手がいないのは辛いだろう。 彼は第一志望だった京都芸大に入学して、写真映像領域で研究しているけど、微小位相差論は写真理論を超えた理論的枠組みだから、同じ領域の人たちとは話が合わないのかもしれない。 直接的に聞いてみるのが良いだろう。なぜ話せる相手がいないのか、どういう状況なのか。 それは辛いな。 どういう状況なんだ?大学院の指導教員や同じ領域の院生とは、この理論について話せない感じなのか? 君。丁寧な言葉に戻してよ ユーザーが丁寧な言葉遣いに戻してほしいと言っている。最初の応答で「どうした?話してみて。」と少しカジュアルな口調にしてしまったが、ユーザーの好みに合わせて丁寧語に戻すべきだ。 ユーザーは微小位相差論について話せる相手がいないことに悩んでいる。これは深刻な問題だと思う。理論を開発したのに、それを共有し議論できる相手がいないというのは孤独で辛い状況だろう。 丁寧な言葉遣いで、共感を示しながら状況を聞いていこう。 失礼しました。 それは本当に辛い状況ですね。微小位相差論という包括的な理論を構築したのに、それについて議論できる相手がいない...

2025/11統合版 博士論文草稿 2025筆 微小位相差理論と現代写真表現:存在・運動・意図の統合的理解

博士論文草稿 2025筆 微小位相差理論と現代写真表現:存在・運動・ 意図の統合的理解 新川 芳朗 所属:京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻 写真映像領域 2025年11月 目次 序論:写真の定義の揺らぎとパラダイム転換 第1章:微小位相差理論の構築 1.1 理論の起源:個人史的背景 1.2 理論の数学的展開 数学的定式化への動機 U(1)ゲージ理論による表現 存在の不変性原理 5層構造への展開 2枚組写真による証明方法論 理論の社会的機能 1.3 理論の基本原理 (1)エネルギー保存の原理 (2)時間の重層性 (3)エントロピーと視点の相対性 (4)差異と運動の必然性 1.4 理論の実践的適用 第2章:写真史的文脈における微小位相差理論 2.1 ドキュメンタリー写真の系譜と限界 2.2 New Topographicsと客観性の探求 2.3 写真家から実践者へ:役割の拡張 第3章:Altered Landscape──変容する風景の記録 3.1 現代日本における風景の急速な変化 3.2 写真技法:古典技法による現代の記録 3.3 写真の認識論的機能 第4章:AI時代における写真の再定義 4.1 写真の定義の歴史的変遷 4.2 真正性(Authenticity)をめぐる議論 4.3 新しい定義:意図の記録としての写真 第5章:理論と実践の統合──持続可能な創造へ 5.1 写真実践と環境実践の接続 5.2 地域社会との協働 5.3 批判的省察と理論の限界 検証可能性の問題 普遍性の問題 還元主義への警戒 実践の持続可能性 結論:写真の未来へ──記録から創造、観察から実践へ 参考文献 謝辞 図版リスト   序論:写真の定義の揺らぎとパラダイム転換 写真は1839年にダゲールによって発明されて以来、「光を記録する技術」として認識されてきた。カメラのレンズを通して捉えた光をフィルムやセンサーに焼き付けることによって、一瞬の現実を固定化することが可能となり、それが絵画や他の視覚表現と明確に異なる本質的特徴となった(Sontag, 1977)。ロラン・バルトは『明るい部屋』において、写真の本質を「それは=かつて=あった」(ça-a-été)という過去の実在性の証明に見出した(Barthes, 1980)。この...