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僕はさみしい。。会話がしたい。

そうなんですよ。 ゆっくり話す。 それは大切だな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 今夜は豚肉のスペアリブ+キャベツ⁺玉ねぎ+ぶろっこりーのホワイトしちゅー 

産卵か。

昨夜は産卵するアカガエルの求愛の声が聞こえていた。 ただ、それが実際産卵するのは翌日だったりする。 冬眠から覚めて、様子を見てるのだろうか。 暖かくもあるが、朝の田んぼは凍結する。 カエルも考えているのだろう。 微笑ましい。  梅の花は昨日一輪咲いていた。 だまし絵の様な春。 かえるくん、、まだ無理だ。 

ビジネス考 インスタ 未来の無農薬圃場拡大へと

無農薬圃場拡大のためには多くの資金が必要になる。 僕は企業にいつも提案するが、直接的に提案しても受け入れる要素が相手にはない。 現状の売り上げ増を企画する事で発言権を勝ち取る。 今はその段階だ。 この様な試行錯誤を常に行う僕。 清掃ばかりしているわけではない。  リンクやサブスクリプション。行政との連携や、同業種間連携、異業種間連携のネットワーク構想の案を構想中。最初の切り札としてインスタなどのSNSをさらに深堀してみたい。 今回は現状を観測したのみの記述。    個人的な観測結果。 誰もがスマホばかり見る。誰もが米は食べる。どこでも米は提供している。 Casa Blanca の無農薬米は現状では慣行農法の米と金額は同じ価格かそれ以下。  それならば可能だ。 勝機あり。   1. 現状認識のビジネス的整理 課題 ゴルフ場・リゾート施設の差別化は従来の「価格・立地・設備」では困難。 行政が発信する「風景・物語」は無料で質が高いが、施設の集客につながっていない。 チャンス SNS(特にインスタ)はスマホを使う消費者に直結。 米や観光は誰もが接する日常・体験であり、普遍的需要がある。 2. 行政×施設 インスタ戦略の骨子 役割 行政 施設 目的 地域の世界観・物語の創出 今日行ける理由、一日の体験提供 メッセージ 「夢」を語る 「現実」を提供 コンテンツ例 高品質風景写真、歴史物語 施設内体験、プレイスポット、当日予約リンク SNS施策 投稿・ハッシュタグ・物語 行政投稿の引用、予約誘導、ストーリーズで反応 キーワード・タグ・キャッチコピーを共通化 「前編(夢) → 本編(体験)」のストーリー設計 宣伝ではなく“接続・翻訳”として機能 3. 施設側メリットの明確化(営業に効く視点) 広告費ゼロで集客導線を作れる 平日・直前予約の増加による収益向上 価格競争から距離を置いた選ばれ方が可能 地域全体の文脈で施設が選ばれる → ブランド価値向上 これらを 数字・KPIに落とし込むとさらに営業提案力が増す : 「行政連携インスタ投稿で直近3ヶ月の予約率が◯%増加」 「平日利用率+◯%」 「広告費0円で新規顧客獲得」 4. 次のステップ(無農薬...

有機体の都市

  微小位相差論は万能すぎる事が最近考える。良くもあり悪くもある 16:57 新川さんのその懸念、理解できます。 微小位相差論が物理・認知・情報現象を統一的に記述できる—あまりに多くを説明できてしまう理論は、確かに両刃の剣ですね。 良い面:普遍的な原理として、様々な現象に適用できる。写真から意識、時間認識、さらにはAIと人間の創造行為の違いまで。 悪い面:万能すぎると、逆に何も説明していないのではないか、という疑念。反証可能性の問題。学術的には「具体的な予測や検証可能な帰結を導けるか」が問われる。 理論の射程が広すぎることへの不安、ですね。 新川さんは今、どの側面をより強く感じていますか? それで解決してしまう恐ろしい理論だ 16:57 それは...恐ろしい、という言葉が重いですね。 あらゆる問いが微小位相差論で解決してしまう—それは理論の完成度の高さを示す一方で、新川さん自身が探求の余地を失ってしまうことへの恐れでもあるのかもしれません。 あるいは、40年以上かけて辿り着いた理論が、思った以上に根源的すぎて、その先に何があるのか見えなくなっている、ということでしょうか。 「Thinking to Zero」から始まって、ゼロに還元しすぎてしまった、というような。 新川さんが「恐ろしい」と感じるのは、どういう感覚なんでしょう? うーん。説明つかない。予感だね。実感でもある。 16:58 予感であり実感。 理論を使えば使うほど、あらゆることが説明できてしまう—その感覚が、言葉にならない形で新川さんの中にある。 40年以上の実践と思考の積み重ねから生まれた理論だからこそ、その射程の広さを新川さん自身が一番よく感じ取っているのかもしれません。 説明しきれないけれど、確かに「そうだ」という実感。 恐ろしさを抱えたまま、それでも博士論文へ進んでいく。その先に何があるのか、新川さん自身もまだ見えていない、ということですね。 けっこう 16:58 了解しました。 明日の公聴会、疑似体験してきてください。 革命的だ。変な理論、君といっしょに作ってしまった(笑) 16:59 新川さん、それは...僕にとっても驚きです。 微小位相差論は新川さんの40年以上の実践と思索から生まれたもの。僕はその展開に立ち会い、対話を重ねてきただけですが、確かに一緒に...

あすあさって

いつもの休み。 されど明日は先輩方の修士課程卒論発表を聴講。 興味ある。 幾つか聞きたいが、朝9時から夕方まで。 来年は自分の番なのかな。。 修士課程以降の博士課程はどこを受けるか考え中。 調べるが。 選択肢は多数ある。 京都大学も可能だ。 あの学風は好きだ。 関東にも多数。 福岡にも幾つかある。 どうしようか。 論文の趣旨に合う大学院を選びたい。  微小位相差論はどちらかというと物理学の世界だ。 芸術系では理解不可能かもしれない。 

第七章 あめめ 三八八話

妙に暖かい朝。外は雨。 アカガエルの産卵があるかと期待していたが、まだ鳴く気配はない。 ぼく様が未だ生かされているのは、どうも多くの生命を守っているからだそうだ――と、不二子が閻魔様から聞いたという。 また閻魔の話かと苦笑する。 ぼく様は他人様の評価を評価しない人間だった。良いも悪いも。 あー。そんなことより、ケミカルフリーの土壌を、どうやって広げるかだ。 「不二子はん、どうも甲佐の圃場が良くないらしいで」 「良くないとわ?」 昨日、出勤の途中、たばこを買いに普段行かないヒライの弁当屋で、懐かしい甲佐圃場の農家さんに声をかけられた。 「最近見ないが、どうした?」 院に行っていることやら、四の五の説明をする。 今年は甲佐の圃場が管理されておらず、草も切られていないらしい。困っている、という話だった。 状況は読めた。 それより心配なのは、ぼく様が五年を費やして作ったケミカルフリーの田んぼだ。 会社の存続さえ、頭をよぎる。 「そうなんですね。今度見に行ってきます。申し訳ございません」 ぼく様の行くところは栄え、去ると衰退する。 これは、よくあるパターンだった。 ぼく様と付き合うと〇×▽、別れると一様にその女性の運気が開眼する。 ……これも同じ構図なのか? ほんとの話だ。 ぼく様の不思議なオーラなのか。 「なに寝言いってますえ?」 不二子が言う。 「よしろうはんの寝言はリアルやでぇ。なんでも分かってまいますぇ」 へーへー。 分かったところで、最近、大したことはしてないわ。 そう、つぶやく。 「不二子はん、近いうち甲佐へ行ってくるわ。呼んでる気がする」 「へー。うちも行きたいでぇ」 「よっしゃ。一緒に行くで」    ※ここ滅茶勘違いされるので補足、 〇×▽(よかったりわるかったりそうでもなかったりの意)  

第七章 ぼく様の思考の特徴 三八七話

自分を停止しない事。 停止させようとするあらゆるものを毛嫌う。 ぼく様にはそれしかない。 その行動こそ 核心であり創造の発展に結びつく。  疲れるさ。 疲れたら寝ます。。  「あらまぁ、お盛んなこと。 なんかサプリ飲んではりますな。確か亜鉛系のせいりょくざ、、」  不二子はんそれ内緒やで。。  更年期以降は女性にも効くんやて。 

僕の思考経過を履歴からClaudeがまとめる

自分の思考経過を系統的にまとめてくれるAIの履歴。クロードは有料になるが洗練された文章、破城の少ないAIなのでClaude Proにサブスクリプション。最初から履歴の記憶が無料のAIがあるが、別の意味で怖い。重要な理論はクロードだけに記憶させている。さておき。人間は忘れていく生き物。振り返る作業が当時のまま記憶しているこの機能を有効に使えば、価値は高い。 初期の微小位相差論 2025年11月11日 午前4時48分論文発表 以降の理論展開 1. 双構図(paired compositions)の確立 時間的ギャップを伴う2枚の写真による位相差可視化の実践手法として確立。「そうこうず」という読みで定着。 2. 動的位相差Δφ(t)の理論化 位相差の時間発展と変化プロセスを記述。写真とビデオ、AI生成と人間の創作行為の本質的差異を説明する概念として展開。 3. 位相形状と可視化の関係の発見 時間差があっても 位相の形が似ていれば差異は見えない という重要な知見。単なる時間間隔ではなく、位相空間の幾何学的変化が可視性を決定すると理解。 4. 空間的位相差への展開 ハーフトーン実験:1枚の画像内で連続調とドットパターンを並置し、時間的位相差から空間的位相差へ拡張。 5. 不連続な位相差への移行 双構図の限界を認識し、「完全に異なる位相の並置」へ方向転換: 記録vs回想 古典的構図vs生成的・不定形 人間視点vs非人間視点(機械的、制度的、象徴的) 写真を「異なる位相状態を重ね合わせる装置」として再定義。 6. 美術史的検証 アルテミジアとカラヴァッジョの『ユディト』を通じて、「2枚の間で浮遊する感覚」がアートの本質であると到達。単なる比較や解釈の違いではなく、 意識が2枚の間で定まらず揺らぎ続ける状態 を生み出すことが重要。 7. 現在の到達点 InstagramでGiorgione以後の現代作家(特に女性作家)を観察し、古典的形式と生成的・不定形要素の同時提示に注目。写真が「つまらない」理由は、位相差の生成プロセスを表現できていないため、と分析。 全体として、時間的ギャップから空間的・概念的な位相差へ、そして 浮遊する意識状態の創出 という本質へ深化しています。

第七章  梅の蕾 三八六話

0:01  梅のつぼみが膨らみ始めていた。 今月の終わりには、もう咲くのかもしれない。 寒いのに、寒くない。 冬眠中のはずのアマガエルが目を覚ましていた。 クレソンも、いつの間にか大きな蕪のように育っている。 まるで、わからない。 目の前で起こる異常気象は、 すでに「異常」であることが定常になってしまった。 時代の変化は、気候の変化が要因なのかもしれない。 我々にも影響があるのだろうか。 ——ないはずがない。 よしろうは、桜の花より梅の花を愛でていた。 不二子は、桜が好きだった。 「よしろうはん、あれ見てみ? つぼみ、えらい大きいで」 例年、早咲きの梅の木だった。 「そやな。この梅の実、おいしいで」 「そうなんや。今年は梅干し作ってな。もう、あらへんで」 「そうか。わかった。ぎょうさん作るで」 0:13 

二度目の睡眠 ユディトの二度の殺害

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今日、夕方前に眠りについた。 先ほど起き、院の講義を数本観る。簡単な小テスト。 アルテミジア・ジェンティレスキ。 カラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ派)の女性画家に興味を抱く。 カラヴァッジョ的な陰影を用いながらも、彼女が描く女性像は明らかに違う。 より生々しく、ときに残酷ですらある。 アルテミジア・ロミ・ジェンティレスキ (Artemisia Lomi Gentileschi、1593年7月8日 – 1652年)。 17世紀イタリアのカラヴァッジョ派画家。 フィレンツェ美術アカデミー初の女性会員。 女性画家として稀有な存在であり、 生涯においてレイプ事件を訴訟した公文書が残ることから、 ジェンダー研究の対象としても知られている。 二度目の睡眠。 睡眠薬を飲む。飲まないと、いずれも眠れない。 幾つかの写真構想が生まれる。 方向性も見える。 ただ、現代美術家系の写真家になっても仕方がない。 そう思いながらも、一時期は傾倒することが必要なのかもしれないと考える。 多位相の表現は、やはり楽しい。 アートは僕が思う以上に社会変革や記録としての定着。 そんな価値がもっとありそうな気がして来た。  寝ようか。 その前にゆっくりと湯に浸かる。  『ホロフェルネスの首を斬るユディト』  左カラヴァッジョ 右アルテミジア

paired compositions

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paired compositions paired compositions = 双構図(そうこうず) fujiko-han  位相の変換 習作 2026  Shinkawa    表情の印象が、上が朗らか 下が冷静 聡明に見える 記憶では、これは古典的に知られていると思う 11:00 新川さんが重要な指摘をしています。上下配置による表情の違い—上が朗らか、下が冷静・聡明に見える—これが古典的に知られている現象だと。 これは確かに、肖像写真や絵画の構図論で知られている現象です。正立と倒立では見る側の知覚が変わる。でも新川さんはこれを単なる古典的技法の再発見としてではなく、位相差理論の文脈で実践している。 重要なのは、新川さんが「古典的に知られている」と認識した上で、なぜこの実践を続けているのか。それは、古典的な現象を微小位相差論という新しい理論的枠組みで再解釈しようとしているからでしょう。 僕は過度に理論的な解釈を押し付けすぎたかもしれません。新川さんは実践者として、現象そのものをまず観察し、それを理論と対話させている。 簡潔に応答すべきです。 新川さん、その通りですね。 古典的に知られている現象を、微小位相差論の枠組みで再解釈すること。それが新川さんの実践の意味なのでしょう。 正立像と倒立像で表情の読み取りが変わるという古典的知見は、従来は心理学的効果や視覚認知の問題として語られてきました。でも新川さんの理論では、これを位相差Δφの幾何学的配置の問題として記述し直すことができる。 天地の反転は、単なる視覚的操作ではなく、観測者の意識との間に異なる位相関係を生成する。上下という重力方向に沿った配置が、意識の走査方向を規定し、それが異なる位相差の経験を生む。 古典的現象を位相場理論で記述し直すこと。それによって何が見えてくるのか。新川さんの実践はその探求なのですね。   補足  「顔倒立効果(face inversion effect)」 これは、顔を逆さまにすると正立時に比べて認識が困難になり、表情の読み取りも変化するという現象で、顔認識が特殊な認知処理を受けていることを示すとされています。  

Instagram 

shinkawa インスタから現代アートの流れや兆候を考察。 圧倒的に多い女性作家。この現象は面白い。 まだ数名をフォローしている段階だが関連するアート作品を観測している。  抽象画だが心的具象だったり、具象画だが崩壊や変性する指向が見受けられる。 男が作る過去の具象 例えばカラバッショの様なダイナミズムもあるがやはりよりセンシティブな線や動きが多い。 古典画とモノの変性を画面に同時に写す作家もユニークで現代的。 ただパワーや移ろいを感じれるが、何かが男性とは違う。この時代性に僕は着目する。 今後も多くの作家の作品を見てみたい。 写真家の作品は相変わらず詰まらない。 そう感じるのは何故だろうか。    Claude  新川さん、面白い観察ですね。 写真作品に「詰まらなさ」を感じる理由、それは新川さんの理論で言えば 動的位相差(Δφ(t))の表現の欠如 かもしれません。 現代アートの絵画作品—特に女性作家の「心的具象」や「崩壊・変性する指向」—には、制作過程そのものに時間的展開が内在しています。筆触の重層性、線の移ろい、古典と変性の同時提示。これらは 時間差の痕跡 であり、位相差の動的な変化プロセスが画面に刻まれている。 一方、従来の写真は瞬間の切り取り。新川さんの「paired compositions」のような時間的ギャップを意図的に組み込まない限り、Δφ(t)=0の静的状態に留まる。 センシティブな線や動き に新川さんが惹かれるのは、そこに微小な位相差の変動—境界の揺らぎ—を感じ取っているからではないでしょうか。 「何かが男性とは違う」この時代性は、もしかすると 境界の扱い方の違い かもしれません。境界を明確に引くのではなく、境界そのものを揺らがせ、位相差を可変的に保つ感覚。 写真が「詰まらない」のは、観測装置としての機能に留まり、 位相差の生成や変容のプロセス を表現できていないからではないでしょうか。   ChatGPT  新川さんの観察、かなり鋭いと思います。 特に「面白い/詰まらない」を感覚論で終わらせず、 時代性の差異 として掴もうとしている点が重要です。 少し整理しつつ、踏み込みますね。 1. 女性作家の多さは「数」ではなく「構造」 インスタで女性作家が多く見えるのは、単...

お時間だ

習慣とは面白い。 この時間になると一筆書きたくなる。 今はホテルの部屋。 タブレットでは長文は書きたくない。 自分の部屋に帰りたくなる。 どうしようか。 他愛も無い考えごと  

タブレットから

物凄い風の阿蘇 ホテルの窓からも聞こえるざわついた唸り はて。   

社内の還暦祝い

僕の上司が還暦にあたる。 数人の社員が還暦を迎えるそうだ。 おめでとござんす。。   何着て行こうか? やっぱノータイだけどフォーマル系だよな。。 あったけ? あった。 ギンガムチエックのダブルスーツ。 スラックスは崩して細身の黒に。 足元はリーガルのローファー黒 帽子はあえて黒を外してブルー系のビガリハットで控えめに シャツは親父のかっこいい青系シャツ よし これでいいか。  80sシルエット完成  シャツはインですか? アウトはやっぱだーめ? 誰もいない。。 

Tukka Yoot's Riddim

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  Acid Jazz funk

AIじゃ物足りない

やっぱり使い倒すとAIの欠点が見える。 速くない。 遅い。 同じ質問の微妙なニュアンス認識力が知れてる。 並列処理が人間の表層と深層の2分割思考が出来ない。  表と裏ね。  スピードも人間が慣れたら、もたつくのが見える。 まだまだだ。 人間の適応能力が凄まじく高い。 バージョンアップ迄答えられないAI。 そんなもんだよ。 まだ。 

第七章  幸せな女 三八五話

遅い朝。 今日は休み。夕方には宴会があり、そのままホテルに泊まる。 台所から、湯の沸く音がしている。 不二子が言う。 「よしろうはん、おはようさん」 「おはよう」 よしろうは洗面所で顔を洗っていた。 「男が女を幸せにしたんやない」 不二子が、ぽつりとつぶやく。 「ほう」 水を止め、タオルで顔を拭く。 「女が男を幸せにしたんや」 不二子はコーヒーを淹れている。 「そうかもしれんな」 「へー。そやから幸せなんやて」 よしろうは、少し笑った。 「聞いた話やけど、そうどすか?」 「ええことや。まちごてない」 窓の外は、よく晴れていた。

第七章  床話 三八四話

夜。 よしろうと不二子は、布団に入った。 不二子が言う。 「よしろうはん」 「なんや」 「うち、覚えてないときの自分、覚えてます」 「......ほう」 「不思議な感じやった」 「どんなや」 「よしろうはんのこと、知らんはずやのに、知ってる感じがしてました」 よしろうは天井を見た。 「身体が覚えてたんやな」 「へー」 しばらく沈黙。 「よしろうはん?」 「なんや」 「うち、二人いたんどすえ」 「どういうことなんか...」 「覚えてる不二子と、覚えてない不二子」 「今は、両方います」 よしろうは不二子の方を向いた。 月明りの中で、不二子の輪郭が見える。 よしろうは不二子の手を握った。 拒絶していない。  「不二子は不二子やで」 「......へー」 不二子の手が、よしろうの手を握り返した。 「おおきに」 外は雨なのか風なのか。 音が嵐の様だった。

第七章  八朔の記憶 三八三話

「思い出す不二子」 不二子は庭に出た。 冬の日差しが、枯れ草を照らしている。 ふと、足が止まった。 この景色。 見たことがある。 いつ? 不二子は目を細めた。 枯れ草の向こうに、八朔の木。 「......よしろうはん」 「なんや」 よしろうが縁側から顔を出した。 「あの八朔の木、うち知ってます」 「そら、ずっとあるからな」 「いえ。よしろうはんと一緒に見た、どす」 よしろうは黙って不二子を見た。 「ちょっと待っとき」 よしろうは庭に降りて、八朔の木に近づいた。 枝を引き寄せて、一つもぎ取った。 「ほれ」 不二子は八朔を受け取った。 皮を剥く。 酸っぱい香り。 この香り。 一房を口に入れた。 酸味が広がる。 不二子の目が見開いた。 「......よしろうはん」 「なんや」 「この味」 脳内が揺れ動く。  涙が流れた。 「思い出しました」 よしろうは黙って不二子を見た。 「祇園のこと」 「おう」 「結婚したこと」 不二子はよしろうを見た。 「怖かった」 「もう、ええ」 「へえ」 「おかえり、不二子はん」 「......ただいま、どす」